【続・東京マラソンへの道】中島彩「54歳の母と大阪マラソンを完走!」 (2ページ目)

  • 中島彩●文・写真 text & photo by Nakajima Aya

 そして10キロの関門に到着したのは、制限時間の5分前。トイレ休憩する時間もないほど、ギリギリのタイムでした。私は少しでもペースを上げようと、10キロ地点からは母の前を走ってペースメーカーになりました。しかし、12キロ地点あたりで後ろを振り向くと、いるはずの母が見当たらないのです! ペースが速すぎたのか、すでに母は歩き始めていました。「もう無理。少し歩くわ」と母。しかし、次の関門の制限時間も迫っているので、そんな余裕はありません。そう考えた私は、「じゃあ、歩くのは次の信号までね」と、歩く距離を限定し、走らせるようにしたのです。この方法は、私がこれまでのマラソン大会で走ったときに学んだことのひとつ。前もって歩く距離を決めておかないと、いつまでもダラダラと歩いてしまうからなんです。

☆母の完走に感動した、ある人とは?

 その後も歩いたり、たまに走ってみたりと、母に疲れが見え始めてきました。そんなとき、母に元気を与えてくれたのが、コース近くに建っている「大阪市中央公会堂(旧・中之島公会堂)」です。大阪市中央公会堂は、1918年に完成した歴史的な建築物。赤レンガで造られたお洒落な建物で、私も学生時代、美術の宿題で公会堂を写生しに行きました。その由緒ある場所で、母は高校の卒業式をあげたそうです。今は耐震性の問題などで、簡単に催しごとを開けないそうですが、「中之島公会堂での貴重な卒業式」は母の誇り。この話を昔から何度も聞かされていたので、思い出の場所を目にした母は、案の定、大興奮! 「お母さんね、この由緒あるところで......」と元気に話し始め、「その前を54歳になって走っているなんて」と、感動を噛みしめていました。その後も母の思い出話は止まらず、「その、『おしゃべりパワー』を走りに生かしてほしいなぁ」と思いつつ、大阪市中央公会堂の見える御堂筋を走り抜けました(笑)。

 その後、母と私は制限時間を15分前に通過できるぐらいに巻き返し、中間地点である京セラドーム大阪に到着。そのときの母の楽しみは、23キロ地点にある給食で、「バナナが食べたいなぁ」と言っていました。しかしいざ、給食ポイントに到着すると、なんとバナナもお菓子も全部品切れになっていたのです。よくあるケースなのですが、母がとてもショックだったようで......。ところが、その近くで飴(あめ)を配っている沿道の方を発見! 「飴ちゃんなめて、頑張って!」という声援をいただき、私たちは再び頑張る決意を固めました(笑)。こういった温かい応援は、本当に嬉しいですね!

 いろんな人の応援に助けてもらい、私たちもようやく海の見える場所まで到着。大阪マラソンのフィニッシュ地点は南港(なんこう)にあるので、ゴールが近づいてきたサインです! さすがに母も限界が近くなってきたので、走ったり、少し歩いたり、そしてストレッチをしたりと、最後の10キロは一歩一歩、ゴールに向かって最後の力を振り絞りました。そして、6時間45分、ついにゴール! 無事に各関門の制限時間に引っかかることなく、無事に42.195キロを完走することができました。

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