世界最速の17歳・桐生祥秀「目標は100m9秒台」 (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by Oriyama Toshimi

――高校1年の時は10秒58がベストでした。どの辺が良くなったのでしょう。

「国体の頃から前半でほかの選手に前に行かれても焦らなくなりました。スタートも中学の時から両足を揃えていたのを、高1の10月頃から少しずらすようになって良くなっていました」

――高校2年の頃はどういう構想で練習していたのでしょう?

「2年の頃は200mをベースでやっていましたけど、顧問の先生とは20秒台は出るだろうと話していたんです。そうしたら4月の最初の大会でいきなり20秒88が出た。あとは、100mを走るためにも、200mとマイルリレーも走った方がいいかなと思ってやっていました」

――「腰椎分離症」という持病を持っているそうですが、いつ痛めたのですか。

「中学の時に、第3腰椎くらいをやっちゃったんです。それで骨が少し欠けているみたいで。だから体幹の補強をしっかりやってカバーしています」

――同学年のライバルには100mと200mで日本中学新を出した日吉克実選手(修善寺中-韮山高)がいます。

「(中学の頃は)彼はレベルが違う存在でした。全国中学の200mでは僕が2位だったけど、彼が21秒18で僕は21秒61。ただ中学の頃は体幹の補強も全然してなくて僕は体が細かったんで。高校へ入って少し補強をし始めたら筋力もついてタイムも出始めて。1年から2年になる冬も、朝練でも、腕立て腹筋背筋をやっていました」

――上級生にもライバルは多いですね。

「1学年上に大瀬戸一馬さん(小倉東高-法大)もいるけど、同学年に土井杏南(埼玉栄高)がいるので。彼女が自分よりいい順位になると、自分もそこに追いつきたいと頑張れるんです。大きな大会で活躍されると刺激になります。実際、インターハイでは大瀬戸さん(100m優勝)や橋本晃志(200m優勝・川薩清修館高-早大)さんに勝ちたかったけど、結局負けてしまって。それに200mでは同学年の選手にも負けて、悔しい思いしかなかった。だから次の合宿では、ガムシャラに走りましたね。レースは力みもあって、スタート後に体が起き上がるのも早くて、やるべきことが全然できていませんでした」

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