【マラソン】ケニア人選手はなぜ日本を目指すのか? (2ページ目)

  • 加藤康博●文 text by Kato Yasuhiro
  • photo by Getty Images

 関氏によれば、彼らは走ることを仕事と捉える意識が強いという。確かに賞金レースが増え、貧困から脱出する希望が芽生えた。しかし、マラソン以外の手段で同程度の金額を継続的に手にできるのであればその方がいい。駅伝であればマラソンより距離が短く、ケガのリスクも少ない。継続して結果を残せば長く日本に居続けることができ、給料が支払われる。無理してマラソンに挑む必要などないのだ。

日本人の価値観で言うと、どうしても「オリンピックのマラソン」が至高の目標になってしまう。しかし、そこで勝つことは直接的に金銭的な恩恵にはつながらない。日本人とケニア人では走るということに対しての職業意識が根本的に違うのである。

 同様にアメリカにも少し異なる形で彼らにとっての"働く場"がある。それは5キロや10キロなど比較的短めの距離で行なわれる賞金レースだ。

 日本のように年俸や給与という形では保障されないが、アメリカではこの手のレースが毎週のように行なわれている。そして彼らはニューヨークマラソンやシカゴマラソンといったビッグレースでのペースメーカーも務める。

「ペースメーカーも彼らにとってはいいビジネス。そこで経験を積み、自分のマラソン挑戦につなげようと考えている選手は私が見てきた限りではいませんでした。大会主催者が望む"一定のペースで走って、他の選手の好記録に貢献する"という仕事を忠実に守り、それに対して見返りを手にするのです」(関氏)

 日本国内のマラソンレースでは、ペースメーカーは将来のマラソン挑戦を視野に入れる若手選手が担うことが多い。もちろん決められた一定のペースで走るのが務めだが、あくまでも目的は自身の将来のマラソン挑戦のための経験。他の選手の好記録に貢献するのが仕事という意識は相対的に低くなる。ここにも考え方の違いが表れる。

 日本で競技を続ける選手であっても、駅伝の枠に留まらない成長を見せるケースがある。近年では2008年北京五輪マラソン優勝のサムエル・ワンジル(故人)。彼は日本の高校を卒業し、実業団に進んで力をつけた。また高校時代から来日し、今はエスビー食品に所属するビタン・カロキも、ケニア代表の座として、ロンドン五輪男子1万メートルで5位に入っている。

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