【東京マラソンへの道】中島彩「私が市民ランナーになったキッカケ」 (2ページ目)

  • 中島 彩●文・写真 text & photo by Nakajima Aya

髪の毛をピンクにして『走るフリーアナウンサー』と認知されるようにもなりました!髪の毛をピンクにして『走るフリーアナウンサー』と認知されるようにもなりました! マラソンをするのは約10年ぶり。中学生時代、体育の授業でのマラソンは、大の苦手でした。寒くて苦しくて、たったひとりで完結する寂しいスポーツ、というイメージでした。

 とはいえ、フルマラソン挑戦も仕事です。先輩ランナーを取材し、教えを請い、見よう見まねでランニングに取り組みました。

 2日に1度、その日の限界まで走るという、初心者らしい練習からスタートしました。最初は、1キロのランニングでクタクタだった私ですが、時が経つにつれ、走る距離を伸ばしていきました。

 そして......半年後の昨年3月12日。見事、名古屋ウィメンズマラソンを完走したのです。

記録:5時間23分42秒

 FINISHラインを踏んだ、その瞬間の感動。喜び。涙がグッと溢れてきたことを覚えています。その大きな達成感は、言葉では伝えられないものでした。

 また、体重8キロ減により、身体は引き締まり、悩みの便秘も解決。よく食べ、よく寝られる毎日となりました。これも、毎日のランニングの賜物です。

 その後、私は地方局を退社し、昨年4月に上京し、フリーアナウンサーとなりました。名古屋のマラソン番組を卒業してからも、ランニングは私の日課となっていました。ほぼ毎朝、都内を走り、心身の状態を整えていました。

 そんな毎日のランニングの継続により、昨年の秋、思わぬ仕事が舞い込みます。毎年、春と秋に放送される、TBSテレビ『オールスター感謝祭』。その番組に出演、そして『赤坂5丁目ミニマラソン』への参加依頼をいただいたのです。『心臓破りの坂』など、全国的に有名な赤坂5丁目ミニマラソン。私は、そのビッグチャンスで少しでも目立とうと、「髪をピンク」にして出場。結果は、女子7位でしたが、あのエリック・ワイナイナ選手(※2)にも「走り、良かったよ」と褒めていただきました。

(※2)エリック・ワイナイナ=コニカ(現コニカミノルタ)陸上部に所属し、1996年アトランタ五輪で銅、2000年シドニー五輪で銀メダルに輝いたマラソン選手。

 オールスター感謝祭に出演後、全国的に『走るフリーアナウンサー』として認知され、マラソン大会出場の際には、スポーツニュースとして取り上げられる機会も増えました。また、自己ベストも着々と更新し、10月には、第3回サンスポ軽井沢リゾートマラソンを2時間3分43秒(ハーフ)で完走。12月には、第28回NAHAマラソンを5時間7分34秒で完走しました。とはいえ、特に変わったトレーニングはせず、自分なりに楽しくランニングを続けてきました。

 そして、迎える『東京マラソン2013』――。出走権獲得が高倍率の東京マラソンは、ランナーにとって憧れの舞台。大会を1ヵ月半後に控え、まだまだ新米市民ランナー・中島彩の取り組みを、この『東京マラソンへの道』で記していくつもりです。

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