【陸上】なぜジャマイカは世界一のスプリント王国になったのか?

  • 加藤康博●文 text by Kato Yasuhiro
  • photo by JMPA

 そして、そのジャマイカ人の才能を伸ばしたのが、アメリカの大学やクラブだった。例えば、ニューヨークからジャマイカの首都キングストンまでは飛行機で4時間弱。特にアメリカからはパスポートがなくても運転免許証さえあれば入国できるという気軽さから、多くのスカウトがジャマイカを訪れ、才能ある選手をスカウトしていった。そして現在は、アメリカで学んだ選手が自国に戻りクラブを設立。国内での育成が可能になったのである。

 また国としても才能の流出を防ぐべく、義務教育時点から英才教育を施し、助成金を出すなど育成環境の整備にも力を注いでいる。ボルトが初めて世界の舞台に衝撃を与えたのは2002年の世界ジュニア選手権。200mを制した時、彼の年齢はまだ15歳であり当時の史上最年少の記録にもなった。これも才能をいち早く発掘し、育成を行なった成果であることは疑う余地がない。

 国内の陸上を見る目も変化してきた。17世紀から20世紀中ごろまでイギリス領だったこともあり、人気のスポーツはクリケットやサッカーなど英国をルーツとする球技が中心だったが、最近はボルトらの活躍もあって、陸上スプリントも加わった。

 さらにスプリント人気に拍車をかけたのが、ライバル関係の確立だった。世界記録を持ちながらオリンピックなどの大舞台で勝てなかったアサファ・パウエルに挑む新鋭のボルトという対決に端を発し、ボルトが失格した2011年の世界選手権で優勝したヨハン・ブレークが今季はジャマイカ選手権で優勝。このロンドン前にも国内ではボルト支持派とブレーク支持派に分かれ、応援が盛り上がったという。「観るスポーツ」としてもジャマイカ国内で人気を確立している。

 いずれにせよ、人気スポーツとなっただけでなく才能が自国内で育成される仕組みは、マラソンが稼げるスポーツとなり、国内で育成が可能となったケニア長距離界の姿と似ていると言っていいだろう。

 男子だけでなく女子も北京、ロンドンと100mを2大会連続で制したシェリーアン・フレイザープライス、ロンドンで同種目3位のヴェロニカ・キャンベルブラウンなどこちらも"帝国"を築きつつある。

 人口280万余りのジャマイカだが、その才能の発掘、育成のシステムは緒に就いたばかり。この権勢は当分続きそうだ。


<参考記事:超人ボルトを生んだジャマイカ、強さの理由は(中日スポーツ)>

2 / 2

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る