【陸上】五輪の夢を断たれた為末大。その心中を語る (2ページ目)

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by (c)Wataru NINOMIYA/PHOTO KISHIMOTO

「ウォーミングアップをしていて、『1年間仕上げてきて、これだけの身体しか作れてなかったのか』と思ったんです。もう、世界のトップで戦える身体じゃないなと。本当は北京で終わりだったのかもしれないけど、もしかしたらと思ってアメリカに渡るなど、自分が思いついた仮説を全部試してみた。それでダメだったということを、こういう結果で見せつけられたのだから......。ロンドンを目指して4年間やってきて、最後の結果がこうだったのは悔しいけど、スッキリした気持ちもあるんです」

 挑戦した4年間は、「楽しかった」という。だが、この3ヶ月間は苦しかったとも。練習すると身体に痛みが出たり、ケガをしたり。また、狙った試合で負けることの恐怖感が襲いかかり、ぐっすり眠ることもできなかった。

 さらに、日本選手権のタイムテーブルも厳しかった。世界大会ではレースとレースの間を24時間、開けるのが普通だが、今回は準決勝と決勝が同じ日で、その間は4時間しかないスケジュール。それでも為末は、決勝までに身体を回復させることを考え、サプリメントなどの補助食品をしっかりと用意していた。だが、それもすべて無駄となった。

「北京で辞めていたらカッコ良かったかもしれないけど、それでは納得できなかった。2007年の世界選手権(大阪)の予選で敗退した後、それまでトップの目線で見ていた陸上競技が、それを支えている人たちの目線からも見られるようになったんです。『トップだけが陸上を支えているのではない』という目線で競技を続けられたことで、人間として成長できた気がしています」

 大会前に『今季限りの引退』を表明したのも、すべてが終わった後で「あの試合が引退レースだった」と言いたくなかったからだという。「まさか予選で終わると思わなかったけど、転倒で終わるという結末も僕らしいのかもしれませんね」と、為末は苦笑する。

 彼にとってレースとは、すべて戦いの場だった。最後の最後まで中途半端な思いでレースをすることもなく、五輪を目指した真剣勝負の舞台での討ち死に。勝負にこだわる泥臭いまでの意識こそが、彼の持ち味であり、勝負師としての生き方だったのだ。

 競技人生最後のゴールをした為末に、観客席からは拍手とともに、「ありがとう!」という声がかけられていた。

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