スノーボード岡本圭司、北京パラ初戦は8位入賞。表彰台に届かずも「まだまだ可能性がある」 (2ページ目)

  • 荒木美晴●取材・文 text by Araki Miharu
  • photo by Paraspo/Kazuyuki Ogawa

【大舞台で生まれた感情】

 それは、裏を返せば自身の伸びしろとなりえる部分でもある。岡本は「もっともっと上げるところがある。まだまだ(自分には)可能性がある」と明るく話し、前を向く。

 普段から、大会での順位は自分の最高の滑りをした結果としてついていくればいい、と考えて臨んでいる。緊張もあまりしない。そのマインドは、パラリンピックでも変わらない。

ただ、いつもW杯や世界選手権で顔を合わせる各国のライバルたちが、積み重ねてきたすべてのものを発揮すべく、全身全霊でセッションする姿を見て、心が震えた。そして自身がスタート台に立った時も、こみあげるものがあったという。

 岡本は19歳でスノーボードを始め、フリースタイルのトップライダーとして世界で活躍。プロ選手として活動の幅を広げていた2015年、撮影中の事故で下半身不随の重傷を負った。一生車いす生活になると宣告され、「死にたいとしか思えなくなった」。その後、懸命のリハビリで歩けるようになり、スノーボードに復帰したが、右足には深刻な機能障害が残り、今までできていたことができなくなっていた。そんな時に出会ったのが、パラスノーボードだった。

 ゼロからのスタートだから、以前の自分と比べることもない。自分にも戦える舞台が、まだ残されている。その可能性に気づき、挑戦したことのない種目に取り組むことで、愛するスノーボードの新たな面白さを知り、人生を楽しむ引き出しが増えたと感じた。そして、たどり着いたパラリンピックという舞台で感じた「楽しい!」という感情。

「戻って来られたな、と。僕は(事故で)大けがをして、1回人生終わったような人間なので。そんな人間がこんな舞台まで来られたのは最高やなと思った」との言葉に実感がこもる。

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