トッププロから一転、下半身不随。スノボ岡本圭司、北京パラリンピックへの道のり。「諦めたらあかんねんな」 (3ページ目)

  • 荒木美晴●取材・文 text by Araki Miharu
  • photo by Takahashi Tonko

――そのスノーボードクロスのレースが、2018年の「全国障がい者スノーボード選手権大会&サポーターズカップ大会」。この大会に出場したことが、再起のきっかけだったんですね。

「そうですね。実は当時、どこかで健常者とはもう戦えないとわかりつつも、(健常者として)戻りたいという想いがあったから、大会ではさらっと勝って、インタビューで『僕は持ってるものがあるんで』くらいのことを言うたろうと思っていたのに、全敗しちゃったんです。悔しかったですね。

 でも、同じ障害の人たちが競い合って、それで僕より速かったりするわけで、なんか面白いなとも思いましたし、自分にも戦える舞台がまだ残されてるんやという可能性に気づいた。それで、やりたいなと思いました。スノーボードの新しい面白さを知って、人生を楽しむ引き出しが増えた感じですね」

――ケガをする前、プロスノーボーダーを目指す時に掲げた5つの目標のうち「世界大会の表彰台に立つ」ことが唯一、達成できていなかったそうですね。それを昨季のW杯イタリア大会で2位になり、20年越しにパラスノーボード界で実現しました。

「めっちゃ感慨深かったです。ニヤニヤしちゃいました。過去に達成できなかった目標が、障害者になったことで達成できる。人生って面白いな、諦めたらあかんねんなと思いました」

――このシーズンは他の大会でも好成績をおさめて、LL2クラス(下肢障害/膝より下の切断や麻痺)のシーズンワールドチャンピオンに輝きました。

「これは正直ラッキーでした。コロナ禍で他国選手は大会出場を見送ったりしていましたが、僕は4戦すべてに出場したので、優勝はしてないけど大会ポイントの合計でもらった感じなんです。でもまあ、クリスタルトロフィーを持ち帰ったら子どもが喜んでくれましたし、表彰されるっていうのはうれしいものですよね」

――いよいよ北京パラリンピックが開幕します。楽しみにしていること、成し遂げたいことは?

「今まで積み重ねてきたことを出せる舞台に行けるというのは、本当に楽しみです。コロナ禍の制限でどこまで行動できるかわからないですけど、できる限り他競技の選手たちとも交流したいなぁ。試合では、自分の滑りを出すのみ。当然、順位はひとつでも上にいきたいし、メダルは獲りたいと思うけれど、そこに固執することは僕の生き方に逆行することになっちゃう。やっぱり、明るい未来につながるような最高の滑りをした時に、その順位がついてくればいいなというところですね。

 そうそう、僕2月20日に40歳になったんですけど、40代でパラリンピックに出場するとか、すごいイケてますよね(笑)? 北京パラリンピック、楽しみしかないです!」

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