トッププロから一転、下半身不随。スノボ岡本圭司、北京パラリンピックへの道のり。「諦めたらあかんねんな」 (2ページ目)

  • 荒木美晴●取材・文 text by Araki Miharu
  • photo by Takahashi Tonko

――そういう意味では、日本のパラスノーボード界も個性あるメンバーがそろっていますね。

「日本代表選手は6人いて、全員が違う武器を持っています。いつも一緒に練習していて、どうしたらお互いのストロングポイントを共有して一人ひとりの能力を高め合えるのかを話し合っています。海外遠征中も僕の滑りがダメだった時に、キャプテン(小栗大地選手)とまーさん(大岩根正隆選手)きて、『ここがあかん』っていうのを教えてくれたりするんです。彼らも次の日にレースがあるのに。僕にアドバイスすることで自分たちのダメな部分もわかったって言ってくれて。コーチたちも選手のことを一番に考えて、夏も冬もいい環境を提供してくれる。最高のバイブスを持っている人たちです」

――プロ選手として活躍中に受傷されました。当時の状況や心境、雪上に戻った時のことを覚えていますか?

「スノーボードはどこを滑っても、ジャンプしてもいい。もともとその自由さに惹かれて取り組んできたのに、いつの間にか大会の結果にとらわれたり、ナーバスになる自分がいました。『こんなことがしたいんじゃないのに......』と悩みました。

 それからは、興味があった表現の世界に主軸を移して、スノーボードの写真や映像を撮ったり、ファンと触れ合ったり、ライフスタイルをテーマにしたテレビ番組の司会をしたりしました。僕がやりたいことってこういうことなんだな、とピークを感じていた時に、撮影中の事故で下半身不随になったんです。一生車いす生活という宣告がされ、本当に何もできなくて、死にたいとしか思えなくなりました。そこから懸命にリハビリして、立てるようになって、なんとかスノーボードに戻ったんですけど......。ぜんぜん楽しくなかったんですよね。どうしても前と比べてしまって、何をやっても虚無感がありました」

――そこからどのように乗り越えたのですか?

「どうすれば抜け出せるのか必死に考えました。それでいろんなことにチャレンジしてみようと思って、たとえば音楽をやったり、ウェブデザインを勉強したり。どれもすごく楽しかったですよ。でも、なんか満たされなかったんです。そんな時にパラのスノーボードクロスに出会いました。さっきも言ったように、もともと競争することは好きじゃなかったけれど、挑戦したことのない種目でゼロからのスタートだったから前と比べる自分がいなくて、もしかしたらこれなら追求できるかもしれないということに気づいたんです」

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