妻となり母となり、競技を転向してパラリンピック出場。谷真海が明かす、招致活動からの8年間 (3ページ目)

  • 星野恭子●取材・文 text by Hoshino Kyoko
  • 撮影●矢吹健巳photo by Yabuki Takemi

――大会後、「東京パラリンピックは家族3人で戦った」とも話されていました。

「そうですね。家族と一緒に個人合宿を行なったり、国際大会では私が先に現地入りし、夫と息子があとから合流することもありました。コロナ禍の前は、いろいろな国に行きましたが、息子にとっても貴重な経験になったと思います。

 トライアスロンの大会はパラの部だけでなくエリートの部も一緒に行なわれます。息子は障害のあるなしに加えて、言葉や肌の色、文化や食事など世界にはいろいろな違いがあることを自然に肌で感じられたと思います。『違い』に関して特別な思いを持たず、スポーツという窓を透して世界を見たことで、壁のない男になったように感じられるのは、親としてもすごくうれしいです」

Photo by Yohei Osada/AFLO SPORTPhoto by Yohei Osada/AFLO SPORT――そういったうれしいエピソードをほかにも教えてください。

「たとえば、息子は(右腕切断のトライアスリート)宇田秀生選手に、「なんで腕がないの?」と聞いたんです。障害を特別視せず、個性だと捉えています。だから自然体で聞けるんですよね。

 また、息子が初めて見たバスケットボールは車いすバスケでしたし、どんな障害があってもスポーツはできるという感覚もあるようです。東京パラリンピックもテレビで夢中になって見ていましたし、オリンピックと同じ感覚で楽しんでいたこともよかったなと思っています」

――パラリンピックは共生社会への気づきにつながる一歩とも言われますが、幼いうちから触れることについて、どう感じていますか。

「パラリンピックを見て育った子供たちが作る未来は、また違ったものになるだろうと期待しています。だから、パラリンピックが今年、日本で開催され、無観客であってもテレビでの観戦機会があったことは、残せたものも多かったのではないかと感じています。

 実は、息子の友だちもみな、テレビでパラリンピックを見てくれていたようです。息子の保育園で、私は "谷選手"と呼ばれているんです。アスリートへのリスペクトを感じます(笑)。それに親御さんたちもそういう目線で応援してくれていました」

――それは心強いですね。あらためて、この8年間を終えて今、どんな思いでしょうか。

「かけがえのない時間でした。辛いこともありましたけど、それも含めていい思い出です。実は大会後に息子から、『ママ、頑張ったね。次は僕の番だよ』っていう手紙をもらいました。具体的な内容は分かりませんが、私もたくさん応援してもらった分、これからは私が応援してあげたいと思っています」

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