「メダルよりも自己ベスト更新」。パラ競泳・富田宇宙が記録にこだわり続ける理由とは?

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by ロイター/アフロ

 富田が先天的に見えなかったなら、ここまで苦しむことはなかったかもしれない。だが、後天的に見えなくなった富田の場合、見えていたものが見えなくなる度に計り知れないほどの衝撃を受け、困難と絶望の波に襲われた。

 そんな富田の人生に彩りを与えたのが、パラアスリートという道だった。

大学を卒業し働いていくなかで、自分の障害を活かせる職業で働く必要性を感じ、たどり着いたのがパラアスリートだった。マラソン、自転車なども試したが、高校までやっていた水泳が比較的結果が出やすかった。「経験があり、周囲の人からも必要としてもらえた」ということで、水泳を選んだ。

「その時は、自分にしかできないこと、目が見えないことをプラスにできるような選択肢を考えないと、僕は生きるのが苦しいなって感じていました。パラアスリートになると障害を活かして働くことができる。自分がチャレンジする姿を発信することで周囲の人がパラアスリートを知るキッカケになるし、周囲をモチベートできる。それが自分の障害を活かす働き方だと思ったんです」

 富田は高校を卒業してプールを離れたが、6年ぶりに戻ってきた。そして、それから8年後、東京パラリンピックの舞台に立ったのである。

 東京五輪延期決定後には、コロナ禍の影響で施設が閉鎖され練習できない時期もあった。また、開催について否定的な声が上がり、競技を通じて周囲へ発信することを重視してきた富田は、大会への出場について「ポジティブな感情を持てなかった」と言う。だが、東京五輪が始まり、競技と純粋に向き合うアスリート達の姿を目の当たりにして富田の気持ちに変化が生じた。

「スケートボード競技はノンプレッシャーで大会をエンジョイできている選手ほど技をメイクできているように感じたんです。リラックスして大会を楽しむ姿勢が結果につながっていた。そして、そういうアスリートの姿こそが見ている人を勇気づけると感じて、自分も悩みやわだかまりを捨てて、大会を楽しもう。それがアスリートが一番やらないといけないことであり、プロだなって感じたんです」

 パラ競泳、自身にとって最初の種目である男子400m自由形で銀メダルを獲得した。この時、富田は「ホッとした」と語ったが、それは自身のメダル獲得のことよりも、結果を出したあとに、これまで自分が社会に対して伝え続けてきた主張について、メダルをきっかけにメディアに発信する準備をしており、その責任を果たせたことでの安堵感が大きかったと言う。メダル獲得よりも社会に対して自分の思いや考えを広めていくことに意義を感じる選手は、なかなかいない。

 100mバタフライでは、木村敬一と争い、銀メダルを獲得した。レース後、負けたにもかかわらず、となりのレーンの木村と喜びをわかち合い、満面の笑みを見せるシーンが非常に印象的だった。

 なぜ、あの時、笑顔だったのか。

「さまざまな思いを振りきって大会を楽しむことにフォーカスしようとした時、メダル獲得とかその色とか、自分がコントロールできないものにこだわると楽しむことはできないと気がついたんです。結果にこだわりすぎて個人的な一喜一憂を全面に出すよりも、ここまで応援してくれた人たちに感謝したい、それが責務だと考えていました。強いて言うなら、木村君と競って銀メダルに終わったことよりは、自己ベストを更新できなかったことが悔しかった。他の個人種目ではベストを更新していましたし。だから、木村君が金メダルを獲って自分の夢を叶えたことは僕の結果と無関係にうれしかったんです」 

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