車いすラグビー倉橋香衣、パラリンピックで敗戦した準決勝は「笑うことを忘れていた」 (3ページ目)

  • 荒木美晴●取材・文 text by Araki Miharu
  • 細野晋司●撮影 photo by Hosono Shinji

── イギリスのカイリー・グライムズ選手とは同じ女子選手ということで、話す機会はありましたか? 倉橋選手やグライムズ選手の活躍を見てて、車いすラグビーが男女混合競技であることも広く知られたのではないでしょうか。

「そうですね。カイリーは表彰式の後に『女子で写真撮ろう』と言って来てくれました。嬉しかったですし、女子選手がもっと増えたらいいなと強く思っています。2017年12月に女子選手の強化を目的とする女子選手のみの大会がパリで開かれて参加したんですが、スピードは遅いし、当たる力も弱いけど、みんな『わ~! きゃ~!』って言いながらプレーしていて、すごく楽しかったんですよ。私は負けず嫌いやから、どんな試合でも勝ちにこだわるけど、そのなかでも『私も楽しんでやろう!』って思えた瞬間でした。この経験があって私は車いすラグビーがさらに好きになったので、日本でも女子選手が増えたらもっと楽しくなるかも、と夢を見たりしています。

日本代表チームでは、男女関係なく基本的に同じ練習メニューに取り組みます。ただ、私はがむしゃらにやりすぎて肩の調子を整えるためにチームを離脱したことがあって、自分に合った負荷量も考えないといけないんだと学びました」

── 来年には世界選手権が開催されます。新シーズンに向けての意気込みを聞かせてください。

「自分が今後どうするかはまだ考えている最中ですが、今年4月にクラブチームをBLITZ(ブリッツ)からAXE(アックス)に移籍したので、まずは新しい環境で心機一転、頑張りたいですね。今後の世界選手権やパリパラリンピックについては、「選ばれたら頑張る」のではなく、目指して頑張るとはっきりと決めてから、しっかり取り組んでいきたいという想いが強いです。今は自分の心のなかがまだモヤッとしていますが、日々のトレーニングは継続してコツコツやっているところです。その結果が先につながったらいいなと思いますね」

── 車いすラグビーの魅力をより感じるお話でした。ありがとうございました。


倉橋香衣
くらはし かえ/1990年9月15日、兵庫県生まれ。商船三井所属。中学と高校で体操に取り組み、教員免許の取得を目指して大学に進学後は、トランポリン部に入部。大学3年の時に練習中に着地に失敗し、頸髄を損傷。胸から下に麻痺が残った。リハビリ中に車いすラグビーに出会い、大学復学後にクラブチームBLITZに入団。ケビン・オアー日本代表ヘッドコーチに見出され、2017年に日本代表に選出された。持ち点0.5点(最も障害が重い)のローポインターとして頭角を現し、2018年の世界選手権では日本の初優勝に貢献。初出場の東京パラリンピックでも5試合すべてに出場した。今年4月からAXEに移籍し、新たな環境で練習を積んでいる。

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