東京パラリンピックで金、全米OPで優勝。国枝慎吾が振り返る1カ月。メダルの実感は「飛行機の中ですね」 (3ページ目)

  • 荒木美晴●取材・文 text by Araki Miharu
  • 植原義晴●写真 photo by Uehara Yoshiharu

―― 東京パラリンピックの1年の延期は、実際はどんな影響がありましたか?

「金メダルを獲った今は、結局大丈夫だったなあと思いますけど......。当時を振り返ると、2020年は全豪と全米で優勝して、その全米がパラリンピックとほぼ一緒の時期の開催だったので、やっぱり「(パラ開催が)今だったらな」っていうのはありました。それから今年はとくにパラリンピックまで全然成績を残せていなかったので、その度に頭の中では『やっぱりあの時だったら』って考えてしまって、きつかったですね。まあこれも巡り合わせだ、と思いながらプレーしていましたが」

―― 調子が思うように上がらない要因は何だったんでしょうか?

「2019年くらいから、負けるたびに自分のテニスにいろいろと変更を加えていました。その結果、翌年の全豪と全米はすごくいい形でプレーできたのに、その後の全仏と今年の全豪は連続で負けて()、その2回のあとに大幅にまたテニスを変えてみようかなと思っちゃったんですよね」
※昨年は新型コロナの影響でツアースケジュールが変更

―― 時間があったからこそのチャレンジだったのでしょうか?

「それもあるし、他の選手の勢いとか、このままじゃいけないかもしれないなっていう不安があったんです。ところが、いざ今年の全仏とウィンブルドンを戦ってみても、変更がうまくいっていなくて、結局2020年のテニスに戻したんです。ただ、その時点でパラリンピックまで1カ月ぐらいしかなかったし、3~4カ月かけて染みつかせた新しいテニスがなかなか体からも頭からも離れなかったので、ストレスが半端なかったですね。今回は、それが僕の最大のチャレンジだったかなと思います」

―― それだけ東京パラリンピックに懸ける想いが大きかったのですね。

「本当にそうですね。実際、この5年間はパラリンピックよりもグランドスラムが目標って言い続けてきましたが、やっぱり今回はパラリンピックの大きさも改めて実感したところがあります。とくに今回は自国開催で、こんな機会は2度とないと思うので、そこに期する思いは半端じゃなかったですね」

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