車いすテニス日本代表監督の具体的な仕事とは? 中澤吉裕が振り返る「東京2020パラリンピック」 (3ページ目)

  • 神 仁司●取材・文・写真 text&photo by Ko Hitoshi

――女子シングルスでは、上地結衣選手が初の銀メダルを獲得しました。

「とてもすばらしい試合だったのですが、本人は金メダルという意識で、この5年間プレーしてきたと思います。次のチャンスが簡単に来る世界ではありませんが、絶対に次へつながるだろうし、こういった積み重ねが次の大きなステップになっていくと信じたいです」

――女子ダブルスは、上地選手/大谷桃子選手が中国を破っての銅メダルでしたね。

「ウェブ上でいろんな話し合いをしてきて、最終的にメダルが獲れてよかったです。東京で上地選手は、勝って終わる銅メダルと、負けて終わる銀メダルを経験しました。上地選手はよくリードしてくれたと思います。大谷選手は、緊張のパラ初出場でメダルが獲れて、今後への大きな経験になったはずです。大会の中で2人の成長する姿も見ることができました」

――少し障害の重いクラスであるクアードのシングルスでは、菅野浩二選手が4位入賞、ダブルスでは、菅野選手/諸石光照選手が銅メダルを獲得しました。

「菅野選手がクアードに来て、レベルアップしながら世界ランキングを上げてきた。今回(試合の)中身もよかったです。初出場でプレッシャーがすごく大きいながらも、すばらしい結果を出してくれました。

 ダブルスは、ロンドンでもリオでも、メダルが獲れなかったので、東京でという思いはありました。特に、3位決定戦は、最後までどうなるかわからないしびれる試合でした。試合後には、諸石選手とお互い涙を流しながら『本当に長かったね』と言葉を交わしました。やっぱりメダル獲得は一筋縄ではいかないですけど、2人が成し遂げた実績ですし、奇跡ではなく実力だと思います。クアードでも、かつてのパラ出場選手(の経験や思い)も含めて、東京へつながった形になりましたね」

――コロナ禍でのパラリンピック開催で、難しい状況下ではありました。無観客開催になり残念でしたが、パラリンピックが開催されてよかったことや中澤監督の率直な思いを聞かせてください。

「まず、いろんな意見がある中で開催されました。開催されるまでコロナ禍でたくさん不安がありましたが、(車いすテニスの)日本チームからは感染者を出さずにできた。開催に携わってくれた方に改めて感謝です。選手もスタッフもすごく頑張ってくれたので、こういうすばらしい結果になった。

 お客さんが入らなかったのはすごく残念ですけど、ボランティアの皆さんが、夜遅くまで質の高いサポートをしてくれました。本当に温かかったし、有り難かったです。深夜におよんだ試合の時は、たぶん帰れなかったボランティアさんもいたんじゃないかな。でも、次の日は疲れを全く顔に出さずにサポートをしてくれて感謝しかないです。改めて、日本人って、温かいと思いました」

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