車いすテニス日本代表監督の具体的な仕事とは? 中澤吉裕が振り返る「東京2020パラリンピック」 (2ページ目)

  • 神 仁司●取材・文・写真 text&photo by Ko Hitoshi

――東京パラリンピック本番で、コンディション管理などは、どうのようにされたのでしょうか?

「東京パラでは10人の選手が出場しましたが、選手村に入れたナショナルのスタッフは6人でした。なので、選手1人ずつにナショナルのスタッフを配置できるわけではなかった。今までパラスポーツでは、悪い意味でみんな平等というのがありましたが、(特に車いすテニスは)強化を含めて(メダルも狙える)ハイパフォーマンススポーツだと思っているので、それを踏まえて選手にナショナルスタッフを付けていきました。

 一番大事なのは、選手が全力を出し切ることで、その結果メダルがついてくると思っていました。結果を出したければ、サポートを充実させる。選手のパフォーマンスがよくなることに集中していました」

――各選手のパーソナルコーチは、大会期間中どこまで関わることができたのでしょうか?

「車いすテニスは個人スポーツで、各選手に付いているパーソナルコーチが核だからそこを大事にしようというのが考えの基本にありました。選手とパーソナルコーチが、パラ期間中にいい環境でいられるサポートをしたかった。選手とパーソナルコーチが会える場所を提供しましたが、結構苦労しました。パラでは、パーソナルコーチが会場に入れなかったり、送迎や宿泊所など、普段のツアーとは違うことが起こりましたね」

――東京パラリンピックの車いすテニス競技で、日本選手たちの目覚ましい活躍をそれぞれ振り返ってください。男子シングルスで金メダルを獲得した国枝慎吾選手からお願いします。

「国枝選手も言っていましたが、パラスポーツの枠を超えたプロスポーツとして、いろんな人にアピールできたのではないでしょうか。実際、彼の試合を見て、これはすごいと思ってくれた人がたくさんいた。本当に彼が成し遂げた偉大さを踏まえると、また歴史を作ってくれたと思います。

 リオで彼が思うような結果を残せなかった時や、ヒジのけがで思うような結果が残せない時も見ていたので、本当にコートで自信をもってイキイキとプレーしている姿を見て、やっぱりうれしかったですね。彼がいろんなことを大きく変えてくれて、強いメンタルで戦って、みんなに影響を与えてくれた。その結果が金メダルだったのかなと思っています。本当に獲るべき人が獲れてよかったです」

―― 一方、男子ダブルスでは、国枝選手/眞田卓選手が4位入賞でした。

「率直に悔しい限りです。やっぱりメダルを獲ってほしかったです。メダルだけがすべてではないのはわかっていますが、特に眞田選手は初のメダルという意識はあったと思います。監督として、獲れなかったことに関して責任を感じますし、ダブルスについて、もっと戦略的にいろんなことが必要だったんじゃないかと反省しています」

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