多くの人を惹きつける全盲のランナー唐澤剣也。「数百人いるチーム」で銀メダルをつかんだ (2ページ目)

  • 星野恭子●取材・文 text by Hoshino Kyoko
  • 吉村もと●撮影 photo by Yoshimura Moto

 最初に、盲学校時代の先輩で、鍼灸院を営み治療を通して地元の学生や市民ランナーとの交流が広い清野衣里子さんを頼った。だが、世界まで目指すとなれば、伴走者の人生をも巻き込むことになる。清野さんが気持ちを尋ねると、「本気で、目指したい」と唐澤は言い切った。彼の覚悟を受け止めた清野さんが最初に相談したのが当時、会社員ながら大学陸上部のコーチ経験があった、星野和昭氏だった。その星野氏は現在、唐澤のコーチを務めている。清野さんは今も、マネージャー的な立場で、毎日の食事の世話など、唐澤を後方から支えている。

 その後、清野さんや星野コーチの努力もあり、伴走者は少しずつ増え、支援グループの「からけん会」も発足。点字図書館職員としてフルタイムで勤務する唐澤の朝晩の練習や週末の練習から、合宿や大会の遠征まで、十数人の伴走者が交代でサポートするようになった。

 星野コーチによれば、「最初は週2日程度の練習」が、ほぼ毎日できるようになり、距離走やスピード練習、筋トレなどを織り交ぜた練習サイクルも整った。盲学校時代にはゴールボール選手として活躍するなど、持ち前の運動能力も手伝って、真面目な努力家は着実に力をつけた。礼儀正しく人懐こい唐澤は多くの支援者を惹きつけた。大勢の伴走者ともチームワークを磨き、絆を深めた。

 パラリンピックなど国際大会では5000m以上の種目で伴走者を2人まで交代できるルールになっている。レースでは星野コーチと、2017年末から加わった、茂木洋晃ガイドとの伴走者2名体制で、トラック種目からマラソンまでタイムを順調に伸ばしていった。

 18年には自身初の国際大会となったアジアパラ競技大会で金(5000m)・銅メダル(1500m)を獲得。19年世界選手権では5000mで3位に入り、夢だった東京パラリンピックの切符を手にした。

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