ゴールボール・浦田理恵が
代表落ちから新境地「自分を試すチャンス」

  • 星野恭子●文 text by Hoshino Kyoko
  • 吉村もと●写真 photo by Yoshimura Moto

 今年3月、東京パラ代表に6人が内定、浦田も高橋も名を連ねた。その後、コロナ禍で活動自粛となり、大会も1年延期となったが、「金メダル獲得」という目標にブレはない。浦田はそれが、ゴールボールへの注目を高め、「誰かの人生を前向きに変えるきっかけになる」と信じるからだ。

 その思いは自身の経験に根ざす。1977年熊本県生まれの浦田は20歳の頃、目の難病を発症し、左は失明、右もわずかに光が感じられる程度になった。両親にすら打ち明けられないほどの失意のなか、希望をくれたのがゴールボールだった。2004年夏、アテネパラリンピックで日本女子が銅メダルを獲得したとテレビニュースで耳にし、「視覚障がい者が球技?」と驚き、勇気を得た。

「見えなくなって、できないことばかり」と決めつけていた浦田の人生がまた、動きだした。すぐに地元のチームに入るとのめり込み、いつしか代表センターに選ばれ世界女王にもなれた。「私も、誰かにプラスのエネルギーを与えられるように、1日1日を丁寧に積み重ねたい」

 新たなスタイルで強みを増した浦田と、彼女を擁するチーム・ジャパン。ともに成長できる日々はまだ1年もある。

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