車いすフェンサー藤田道宣は、無意味と言われたことを武器にして勝つ (3ページ目)

  • 荒木美晴●文 text by Araki Miharu
  • photo by Yohei Osada/AFLO SPORT

 藤田によると、もともとカテゴリーCの選手数は少なく、そのなかでもパラリンピック出場を目指しているのは自身と韓国人選手の2人だけだといい、彼らがいかにカテゴリーBで代表になることが難しいかがわかる。だが、徹底的に戦略を練ることで、障害がもっとも軽いカテゴリーAの選手にも勝つことができるのもフェンシングの魅力のひとつだ。

 たとえば、2018年に京都で開かれたワールドカップ男子フルーレ団体戦。団体戦ではAとBの混合チームで勝敗を争うのだが、藤田は相手チームのカテゴリーAの選手に勝利している。カテゴリーAは下肢の切断やまひの選手で体幹バランスがよく、健常者に近いフェンシングをする。

 藤田も普段の練習は健常者とやることが多いといい、「逆に相手からすればCの選手はやりにくいところがあるでしょうね。この一戦も、こちらの戦略がきれいにハマりました。そういう時は、本当に気持ちがいいですよ」と藤田は笑う。

 そして、こう続ける。「もし僕がパラリンピックに出場できたら、カテゴリーCの選手でも、頚損でも、車いすフェンシングができるというアピールになると思うんです。それによって、Cの選手が増えたらいいなと常に思って競技に取り組んでいます」

 受傷前、藤田はフェンシングの名門校・平安高(現:龍谷大平安高)で剣を握り、進学した龍谷大1年の時にはインカレのエペで7位、全日本選抜ではベスト16の成績をおさめている。19歳の時に海での事故で車いす生活となり、2009年に車いすフェンシングに転向後、メイン種目をパワー系のエペから繊細な技術で戦うフルーレに変更。健常時代のエペの経験を活かしながら、車いすフェンサーとしての競技力を高めてきた。

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