絶対王者を追いつめたパラバドの若きエースが、単複銅メダル獲得 (2ページ目)

  • 荒木美晴●取材・文 text by Araki Miharu
  • 植原義晴●写真 photo by Uehara Yoshiharu

 ほかのライバルたちは、この梶原とキムの一戦をコートの外から熱心に見ていた。そして聞こえてきたのは、梶原への賛辞と警戒の声だ。それもそのはず、梶原は昨年、この大会で国際試合デビューしたばかり。この時はシングルスで1勝もできずに予選敗退だったのだから、彼の成長に驚くのも無理はない。

 梶原は現在高校3年生。もともと野球少年でピッチャーとして活躍していたが、14歳の時に自転車に乗っていてトラックと衝突。車いす生活になった。その後、入院時より、お世話になっていたソーシャルワーカーからパラバドミントンを紹介され、見学に行った。そこからキャリアがスタートし、野球をやっていた時のように、打ち込むようになった。野球の投球フォームが活かせるバドミントンは、梶原にとってぴったりのパラスポーツだったのかもしれない。

 ただ、チェアワークのスキル習得となると話は別だ。車輪が「ハ」の字の競技用車いすは、ラケットを片手に持ちながら操作するとバランスを崩しやすい。とくに車いすクラスのシングルスは、コート半面で行なうことから前後の機敏な動きが求められるため、相当なハードワークが必要だ。

 梶原も当初、地元福岡のクラブチームで練習のたびに1時間かけみっちりと操作を学んだそうだ。今でもチェアトレーニングは欠かさないと言い、実戦を重ねるなかでチェアスキルが磨かれ、試合勘も養われてきた。それが、今大会の結果につながった。

 日本代表の車いすクラスの古屋貴啓コーチは、「最近は無駄のない動きができるようになってきました。格上の選手と対戦できるレベルまで上がり、今は相手から車いすバドミントン特有の"間""戦術""読み"を吸収し始めているところ。たとえば、キム選手はラリーをリセットするために高いロブをわざと上げることがあるんですが、大暉は準決勝の試合中に真似ていました。そういう強い選手に学ぶ姿勢というのは、彼の素質だと思います」と評価する。

 同じく、山﨑将幸コーチも梶原の性格について「とても素直で真面目」と話し、「強くなりたいという気持ちが、短期間でここまで成長させたんだと思います」と語り、目を細める。

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