パラスイマー鈴木孝幸「ぎりぎり合格」。世界選手権で復活を印象づけた (3ページ目)

  • 斎藤寿子●取材・文 text by Saito Hisako
  • 越智貴雄●写真 photo by Ochi Takao

 そのため、日本ではトレーニングの内容も限定されることが多かった。ジムに行っても、トレーニングをサポートしてくれる人がいなかったため、鈴木は、なかなかウエイトトレーニングをすることができずにいたのだという。しかし、当時からノーサンブリア大学では校内にあるジムの専属トレーナーがほかの選手と同じように、鈴木専用のメニューを作り、そして実際にサポートしてくれる体制が整っていた。

 そんな充実した練習環境のもとでトレーニングを積み、満を持して臨んだのが2016年リオデジャネイロパラリンピックだった。ところが、世界の成長スピードは速く、予想以上の高いレベルでの戦いが繰り広げられた。その結果、鈴木は100m、200m自由形は予選敗退。150m個人メドレーと50m平泳ぎは決勝には進出したものの、いずれも4位。パラリンピック4度目にして、鈴木は初めてメダルなしという結果となった。

「もう水泳人生に終止符を打つべき時がきたのかもしれない......」

 最終レースの直後、鈴木の脳裏には「引退」の二文字が浮かんでいた。

 しかし、すでにノーサンブリア大学の正式な水泳部員として大事な戦力となっていた鈴木は、リオ後も大学に通いながら水泳を続けていた。すると、コーチやトレーナー、栄養士など、各分野の専門スタッフと話し合う中で、心肺機能を高めるトレーニングや、栄養面からのアプローチなど......まだ自分の泳ぎには追求できる部分があることを感じた鈴木は、現役続行を決めた。やれることがあるとわかりながら、中途半端で終わるわけにはいかなかった。

 とはいえ、すぐに「4年後」を見据えていたわけではなかった。鈴木には金メダリストとしての矜持があった。

「もちろん、自国開催の東京パラリンピックに出たいという気持ちはあります。でも、単に出るだけの"記念参加"は絶対にしたくない。なので、自分が世界とメダルを争うことができる選手であるかどうか、2019年にはその見極めをしたいと思っています」

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