パラスイマー鈴木孝幸「ぎりぎり合格」。世界選手権で復活を印象づけた (2ページ目)

  • 斎藤寿子●取材・文 text by Saito Hisako
  • 越智貴雄●写真 photo by Ochi Takao

 パラリンピックに初めて出場したのは、2004年のアテネ大会。高校生の時だった。大学生で臨んだ2度目の2008年北京大会では、50m平泳ぎで金メダル。予選では世界新記録(当時)を樹立し、真の"世界王者"となった。2012年ロンドン大会では、50m平泳ぎと150m個人メドレー(バタフライはなし)で銅メダルを獲得。しかし、世界の頂点を狙っていた鈴木にとって、この成績はまったく納得のいくものではなかった。

 そこで、環境を変えて自らに刺激を与えることでパフォーマンスの向上を目指そうと、2013年9月からイギリスのニューカッスルにあるノーサンブリア大学に練習拠点を移した。ロンドンパラリンピックで39個のメダルを獲得したイギリス水泳チームを指導したルイーズ・グレイアムコーチを紹介してもらい、同大学水泳部の練習に参加。翌2014年にはノーサンブリア大学に入学し、正式な水泳部員となった。

 2年前、鈴木のトレーニングの様子を取材しようとノーサンブリア大学を訪れた。驚いたことに、大学の水泳部が使用していたのは大会と同じ50mではなく、25mのプールだった。トレーニングルームの機器も、日本とはそう変わりはなかった。鈴木に聞くと、「ここの大学の練習環境が日本以上にいいかというと、それほど差があるわけではないと思います」と話していた。

 では、なぜ鈴木は復活の狼煙をあげるための練習場所を、海外に求めたのだろうか。最大の要因は、パラリンピックを目指すアスリートに対する日本との意識の違いにあった。鈴木が刺激を求めて新しい環境を探し始めたのは、2012年ロンドンパラリンピック後のこと。当時はまだ東京オリンピック・パラリンピックの開催が決定する前で、障がいのある選手への理解は薄く、体制も整っていなかったため、受け入れてくれるところは非常に少なかった。

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