杉浦佳子はパラサイクリングのメダル候補「みんなの笑顔が力になる」 (2ページ目)

  • 星野恭子●取材・文 text by Hoshino Kyoko
  • 浅原満明●写真 photo by Asahara Mitsuaki

 それでも杉浦はあきらめなかった。家族のサポートを受けながら、「他にやることもないから」と懸命にリハビリに取り組んだ。言語や会話の回復には絵本や小学生レベルの漢字や計算ドリルから始めた。特に有効だったのは、知人とのSNSでのやりとりだったという。

 競技仲間たちが送ってくれる、思い出の写真と地名を組み合わせることで漢字を思い出したり、薬剤師の友人が自作したクロスワードパズルで薬剤の名称などの知識を少しずつ取り戻していった。

 体の機能回復には、医師から「自転車が好きなら」とエアロバイクを勧められた。頭部を動かさずに運動ができるエアロバイクは脳障がいの人には有効なリハビリメニューだという。事故の影響が心配されたが、落車前後の記憶を失っていた杉浦には恐怖感や抵抗感はなく、むしろバイクにまたがると楽しさがよみがえり、夢中でペダルを漕いでいた。心拍数が上がりすぎて、医師に止められるほどだったという。

 複雑骨折した右肩は当初、「もう動かない」と言われるほど深刻だったが、「トライアスロンに復帰したい」との思いで取り組んだプール練習なども功を奏し、医師たちが驚くほどの回復を見せた。ついには、薬剤師として職場復帰まで果たす。

「少しずつできるようになっていくことが励みになりました。リハビリや言語聴覚士の先生、家族や友人たちのおかげです」

 心身が回復していくにつれ、少しずつ一般の自転車練習も再開させた。事故から約半年後、知人から紹介されたのがパラサイクリングだった。当初は一般大会への復帰を目指していたため、「私は障がい者じゃないのに」と戸惑いもあったと明かす。だが、断り切れないまま2017年5月、パラサイクリングの国際大会に初出場すると、上位2選手にはまったくかなわなかったものの、3位に入った。パラのレベルの高さに驚かされるとともに、表彰台からポールにあがる日の丸を見上げたとき、これまでにない高揚感に包まれた。

「頑張ってみようかな」

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