パラアイスホッケー代表監督が、17年間選手に伝え続けたアスリートの魂 (2ページ目)

  • 荒木美晴●取材・文・写真 text&photo by Araki Miharu

 今大会後、日本は大きな転換期を迎える。2002年から17年間にわたってチームを率いてきた中北浩仁監督が、昨今の低迷の責任を取り、今大会をもって代表監督を退任することを表明した。選手たちは大会直前の合宿で中北監督本人から伝えられ、オストラバ入り後もあらためてその意思が変わらないことを聞いたそうだ。

 吉川は「ホッケーの楽しさを僕に教えてくれた人」、三澤は「何とか勝利を捧げたかった。監督の最後の現場でリンクに立てることを誇りに思うし、続けてきてよかった」と述べ、熊谷は「新人のころから育ててもらった。本当に感謝の気持ちしかない」と目を潤ませた。

 中北監督は元アイスホッケー選手で、学生時代はプロ選手を目指してカナダやアメリカでプレーした。02年ソルトレークパラリンピック後、38歳でパラアイスホッケー日本代表監督に就任すると、アイスホッケーの戦術や動きを取り入れた強化策の改革に着手。練習では少しでも気を抜いたプレーをすれば容赦なく喝を入れ、勝利にこだわるアスリートとしてのプライドを徹底して植え付けた。

 体格に勝る海外勢に対抗する武器として組織力を磨き、10年バンクーバーパラリンピックでは優勝候補のカナダを準決勝で破って、銀メダルを獲得した。また、日立製作所の社員として培った交渉力を活かし、各国の競技団体との外交を重ねて海外遠征や招待試合などの機会を飛躍的に増やしたこと、勤務先の日立製作所に熱心なプレゼンテーションを行ない、日立グループから強化支援資金の提供を取りつけたのも、大きな功績だ。

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