東京で初代パラリンピック王者へ。パラバドミントンのトップクラス選手対談 (4ページ目)

  • 荒木美晴●取材・文 text by Araki Miharu
  • 五十嵐和博●写真 photo by Igarashi Kazuhiro(人物)photo by JPBF AFLO(競技)

小倉理恵(おぐら・りえ)/1986年、埼玉県生まれ。WH2クラス。家族の応援と協力を受けて活躍している。昨年10月のアジアパラ競技大会ではダブルスで銅メダルを獲得した。小倉理恵(おぐら・りえ)/1986年、埼玉県生まれ。WH2クラス。家族の応援と協力を受けて活躍している。昨年10月のアジアパラ競技大会ではダブルスで銅メダルを獲得した。――小林選手は妻の悦子さんもパラバドミントンのトッププレーヤーで、小倉選手はふたりの子どもを持つママでもあります。おふたりにとって、家族の存在はどういうものですか?

小倉 やっぱり子どもの存在はものすごく大きいです。ふたりともバドミントンをやっていて、いつも応援してくれています。下の娘は小学3年生で、まだ遠征に行く間の寂しさがあるみたいで、いま娘も私も葛藤しているところです。国際大会に出始めたころは表彰台に上がれませんでした。それが銅メダルを獲れるようになって、色が銀色になって......と、子どもたちに少しずつではありますが成果を見せられるのはうれしいことですし、一番のモチベーションになっています。

小林 うちは夫婦で同じ目標に向かっているわけですが、その中で悩んだ時に近くに相談できる人がいるというのは、自分にとってはありがたいことです。それに自分が競技者になってから、彼女がこれまで競技と家事を両立してくれていた大変さにも気づくことができました。

―― 競技を支えてくれる存在としては所属先もありますが、「ブリヂストンでよかった」と思うところは?

小倉 私は去年入社しまして、初めてブリヂストン所属として日本選手権に出たんですが、会社からたくさんの方が応援に来てくださって。ものすごく心強かったですし、すごくうれしかったです。

小林 僕は入社して11年目です。半日勤務して、半日練習という形です。競技を始めた頃は、活動費はすべて実費で、遠征に行くにもお金も休みも足りないという状況でした。思い切ってそれを上司に相談してみると、その上司がすぐに本社にかけあってくれて、あっという間に支援体制が整って。そのスピード感に、オリンピック、パラリンピックのワールドワイドパートナーであるブリヂストンのすごさとありがたみを感じています。

 また、どこの国に行っても、所属先を言うとみんな知っていて、「やっぱりグローバルな会社なんだ」と実感します。そうすると責任を感じながらも、誇らしく思えて、自分の会社をもっと好きになりました。

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