田中愛美の課題はグラグラの精神面。強気の先に東京パラが繋がっている (4ページ目)

  • 神 仁司●文・写真 text&photo by Ko Hitoshi

 高校3年生になった田中は、プレーヤーとして車いすテニスに取り組みたいと考えるようになり、自宅の近くにあるテニススクールを訪ねた。そこが、ブリヂストンスポーツ系列のテニスハウス新所沢で、当時の支配人が岩野コーチだった。

「本格的に習わないとテニスの技術もダメだから、ちゃんとした指導者を探さないといけないな、と。私が練習場所を探していて、家の最寄りのテニススクールに『レッスンしてほしいんですけど』って行ったら、(コーチが)いました(笑)」

 岩野コーチ自身、車いすテニスを教えるのは初めてだったが、パラリンピックを目指したいと来た田中に対してあえて厳しい練習を課した。その苦しさに耐えられず、反骨心のない人間ならば、出場するのは絶対無理だと考えていたからだ。ところが田中は、どんなに厳しい練習でも、文句を言わずにやり続けた。

「なんか、それが普通なのかなと思いました(笑)。どこまでやるかが、あんまりよくわからなかったので。深く考えてなかったからできたんだと思います」

 このように田中は、当時の厳しい練習に耐えられた理由を語り、岩野コーチにずっとテニスを教わりたいと考えるようになった。

「普通にやって、普通にうまくなっていきました。このコーチについていけば、自分はもっとうまくなれると思いました」

 その後、「タイミングがよかったんです。基本的に運はいいので(笑)」と言う田中は、2016年4月にブリヂストンスポーツアリーナに入社して、本格的にツアーに出て、選手としての活動をしていく。

 ブリヂストンは、ワールドワイドオリンピックパートナーであり、ワールドワイドパラリンピックパートナーでもある。そこで東京2020パラリンピックに間に合う可能性が十分にある田中に白羽の矢が立った。岩野コーチは、マネジメントではなく本格的にコーチ業を行ない、田中の活動費用は会社からサポートを受けられるようになった。また、ブリヂストンが立ち上げた「チーム ブリヂストン」のアンバサダーにも就任し、東京2020大会に向けた取り組みの顔としても活躍している。

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