2018.11.11

東京パラリンピックの金メダル候補が語る
「東京の街への期待」

  • 吉田直人●取材・文・写真(人物)text&photo by Yoshida Naoto
  • 越智貴雄●写真(競技) photo by Ochi Takao

■「授業」が元で寄宿舎へ

 フェリックスがパラスポーツを始めたきっかけも、レヴァークーゼンにあった。2012年、通っていた学校のスポーツ科の教員から、選択授業のテーマにパラスポーツを勧められたのだ。

今シーズンも成長し続けている姿を見せた「当初は体操競技を選択していたけど、ちょうどロンドンオリンピック・パラリンピックの年だったから、先生から『オリンピックについて調べてみたら?』と勧められた。それもいいかな、と思ったね。その後、今度は『もし興味があればパラリンピックについてもどうか』と言われたんだけど、パラスポーツのことをまったく知らなかったから、始めは興味が湧かなかったんだ」

 当初乗らなかった気持ちは、教員のアプローチもあって徐々に変化していった。当時パラ陸上で活躍していたアスリートは、マルクス・レーム、オスカー・ピストリウス(南アフリカ/義足の陸上選手として初めて五輪に出場)ら。インターネットの情報や、彼らの競技映像を見ながら、次第にパラスポーツへの関心が高まっていったという。

「次の授業の時には、パラリンピックについて調べることに決めていたよ。どうやったらあの舞台(パラリンピック)まで行けるのかを考えるようになっていった。パラスポーツを学ぶためにレヴァークーゼンの陸上クラブにコンタクトをとったら、競技用義足を提供してもらえて、そこから物事が急速に進んでいったんだ」

『TSV Bayer 04 Leverkusen』からチーム加入のオファーを受けると、住んでいたコーブルクから、500キロ離れたレヴァークーゼンへ拠点を移した。フットボールを始めとしたアスリートを養成するボーディングスクール(全寮制の寄宿学校)に通いながら、トレーニングに励む日々が始まった。

 それからの躍進は、上述の通りである。

「家族に会えるのは年に2回ほど。1番になることだけを考えて多くを犠牲にして競技に打ち込んできた。でも、ここまで早く結果が出るとは思っていなかったから、素直にうれしい。僕の足の状態は生まれつきだけど、家族は周囲と区別なんかしなかった。そのおかげか、他の人も自分と同じように義足を履いていると思っていたくらいだ(笑)。幼いころからスポーツは何でもやってきた。僕には障がいがあるという感覚はなくて、それは家族や友達の影響が大きいと思う」