競技歴1年弱でアジア5位。パラ・パワーリフター樋口健太郎が歩む道 (2ページ目)

  • 荒木美晴●取材・文 text by Araki Miharu
  • 植原義晴●写真 photo by Uehara Yoshiharu

 成功しても、ステージ上でガッツポーズも笑顔も見せないのは、他の選手と一線を画す。何のパフォーマンスもしないのは、「まだまだ弱いから見せられない」と言う。今は2020年への通過点。

「そういうのは強くなったら、かな。でも本当はね、うれしい」

 そう言うと、樋口は初めて笑顔を見せた。

 普段は東京都荒川区の小学校で理科の非常勤講師として教壇に立つ。アジアパラ大会前は、児童たちに壮行会を開いてもらい、寄せ書きをもらった。「頑張ってきてねって。やることはやったよって報告ができるかな」。現在は、週に3回は複数のコーチの指導を仰ぎ、トレーニングに励む。「仕事も練習もしっかりやる。手を抜かない」。仕事と競技の両立が、樋口をさらに強くしている。

 昨年9月、オートバイを運転中に後方から車に衝突され、手術を重ねた結果、右大腿部から下を切断した。義足の生活になった樋口がまず取り組もうとしたのは、「スポーツ」だった。受傷前、スポーツトレーナーとしての指導歴があったこともあり、すぐにパラ・パワーリフティングへの挑戦を決意。事故から3カ月後の12月には、入院中の病院から特別に許可を得て標準記録突破トライアルに挑戦。見事クリアして全日本選手権に出場し、いきなり優勝して周囲の度肝を抜いた。

2 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る