ノルディックスキー新田佳浩。8年ぶりパラ金メダルまでの過酷な日々 (2ページ目)

  • 星野恭子●取材・文 text by Hoshino Kyoko
  • photo by Sho Tamura/AFLO SPORT

 ラスト1周に入ってペースを上げた新田に対し、先行する選手には疲れが見えた。徐々に差を詰め、残り1.5kmではコース外で待機するコーチから2秒差でトップに立ったという情報を得る。

「いける」――。

 ギアをもう一段階上げてラストスパート。最後は左脚を伸ばして、歓喜のゴールに飛び込んだ。

 終盤での見事な逆転劇の裏には綿密に練られ、着実に実行するための長くて過酷な準備があった。

 新田は1980年生まれの37歳。3歳のとき、農作業中の祖父が運転するコンバインに左手を巻き込まれ、肘から先を切断。クロスカントリースキーは小学3年から始めた。中学2年のとき出場した全国大会で、当時、1998年長野パラリンピックに向けたチームづくりを進めていた、現日本代表の荒井秀樹監督に声をかけられ、パラスポーツの世界へ。

 17歳で長野大会に初出場して以来、20年。自身6大会目のパラリンピックとなる平昌大会では14日に行なわれた1.5kmスプリントの銀メダルと合わせ、金・銀2個のメダル獲得。第一人者として日本代表を牽引してきたエースの責任を果たした。

 だが、決してここまでの過程が順風満帆だったわけではない。2010年のバンク―バー大会では同じ10kmクラシカルと1kmスプリントで2冠に輝いたが、続く14年ソチ大会では、新田が得意とするクラシカル種目の実施が少なく、また地元ロシア勢の台頭もあり、最高4位に終わる。

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