ケガ人続出のパラアイスホッケー、メダル挑戦にギリギリ間に合った! (3ページ目)

  • 荒木美晴●取材・文・写真 text&photo by Araki Miharu

「第1試合、ロッカー室から試合会場に入っていく時の光景が忘れられません。歓声と拍手がすごくて、鳥肌が立つくらいでした。脚を切断して5~6年目くらい。それまで片足で歩くことを受け入れられなかったのに、苦労とかつらさを一気に忘れ、みんなの前で堂々としていられる自分がいた。自分の人生の壁をひとつ乗り越えられた瞬間でした」

 パラリンピックは、特別な場所だと三澤は言う。だからこそ、仲間や初出場の後輩たちともう一度あの時間を共有したい、そう強く思っていた。しかし、前述の通り、昨年10月の最終予選では、初戦の試合開始5分で負傷退場となった。帰国を前に、翌日には車いすで会場に姿を見せたが、観客席からチームを見守るしかなかった。この時の心境を、三澤はこう振り返る。

「この8年間、いろんなことを犠牲にしてやってきたのにプレーできず、上から試合を見ているという事実が受け入れられませんでした。その一方で、パラの切符がかかった大事な大会でチームに貢献できずに申し訳ない、何とか勝ってくれ、という気持ちが渦巻いていました」

 ディフェンスの中核を担う三澤のフォローには須藤や上原らが入り、その穴を全員で全力カバー。また、日の丸と三澤のユニフォームを掲げたベンチや宿泊先では、スタッフがフル回転で選手のケアにあたり、まさに"チーム"で死闘を戦い抜いた。

 大一番の強豪スウェーデン戦に勝利し、パラリンピック出場をほぼ手中におさめた時、選手たちは観客席を見上げて叫んだ。「エイジーー!!」。リンクの真ん中で誇らしげにこぶしを突き上げる仲間たちに、三澤が「ありがとう、必ず戻るから」と目頭を押さえてつぶやいたシーンはとても印象的だった。

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