ケガ人続出のパラアイスホッケー、
メダル挑戦にギリギリ間に合った!

  • 荒木美晴●取材・文・写真 text&photo by Araki Miharu

 競技人口が少なく、少数精鋭で練習を重ねてきた日本チームは、正直なところ選手の追加招集も簡単ではない。メンバー離脱のダメージは想像以上に大きく、だからこそ仲間やスタッフたちは、彼らが復帰するまで必死でチームを守った。手術やリハビリを経て、ようやくメンバー全員が氷上に集結したのは、結団式の直前に行なった国内最後の長野強化合宿だった。

 ギリギリの崖っぷちだったことは、中北浩仁監督の「フルメンバーでやれるよろこびをプラスに変えないとね」というコメントからもうかがえる。

 2月中旬、熊本で行なわれた強化合宿は熱気に包まれていた。キャプテン須藤の不在をカバーするかのように、それぞれが声を出して士気を高め、全力でパックを追った。ミスがあれば動きを止め、その都度、ボードを使ってフォーメーションを再確認。氷上ではセット間で話し合う場面もたびたび見られ、本番に向け、集中力を高めている様子が伝わってきた。

 この熊本合宿で復帰し、4カ月ぶりにチームに合流した三澤は、「合宿前は5~6割できればいいと思っていたけれど、そうも言ってられない。最大限の力を出していく」と話し、キレのある動きを見せていた。患部の左鎖骨を守るため、アメフト用の防具を改良したものを使用したり、ボディチェックの衝撃を吸収するクッションを左腕に着用するなど、さまざまな工夫を凝らして練習に取り組む姿に彼の覚悟を感じる。

 三澤は17歳の時に悪性腫瘍のため、右脚の股関節から切断。大学卒業後に競技を始め、初出場の長野パラリンピックでは5位の成績をおさめた。平昌は5度目のパラリンピックとなり、バンクーバー大会ではチームの中心メンバーとして銀メダルも獲得しているが、キャリアのなかでもっとも印象に残っているのが、20年前の長野大会だという。その理由を、以前からこう話していた。

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