井上雄彦×香西宏昭車いすバスケ16年の闘いと2020年を語る (2ページ目)

  • 名古桂士(X-1)●取材・文細野晋司●写真市川光治(光スタジオ)●構成

井上 戦力的には主力ではあったけど代表では最年少だったし、当時のヒロの軸は日本代表よりもイリノイにあったんだね。イリノイ大学で実績も積んで、ロンドンパラリンピックではある程度の自信を持って臨めたんだ?

香西 全米大学選手権に優勝して、翌々年にはシーズンMVPも獲ったので、かなりの経験は積めたと思ってました。ロンドンに入っても、緊張するようなこともなかったので、ちゃんと自分が成長したなと感じてたんです。最初の試合までは。

井上 最初の試合? あっ、カナダ戦!

香西 そうです。あの試合、他の4人には点を獲られてもいいから、とにかくみんなでエースのパット(パトリック・アンダーソン)だけは抑えようとしたんです。ところが、それに気づいたパットが積極的に自分で点を獲りにきて完全に流れを持っていかれちゃった。途中までカナダの全得点を、パット1人が決めてたんですよ!

井上 世界最高のプレーヤーが本気になったんだ。

香西 そのレベルがあまりにも異次元で、ちょっとだけ持っていた自信が全部吹き飛びました。

井上 パットとヒロは同じイリノイ大学でマイク・フログリーの指導を受けた、いわば同門の先輩と後輩。そういう"近さ"もあってパットにも意識するところがあったんだろうね。

香西 パットのおかげで、本当のパラリンピックのレベルを実感できて、自分のレベルの低さを思い知らされた大会になりましたね。

井上 世界で闘うためにもっと自分を磨かないといけないと思ったわけだ。

香西 それでイリノイ大学卒業後は、プロとしてドイツリーグでプレーすることを選びました。ロンドンの後、及川晋平さんが日本代表のHC(ヘッドコーチ)に就任したことは、僕にとってとても大きなことでした。12歳の頃から指導してくれていた晋平さんと一緒に、リオで日の丸をつけてパラリンピックを闘うことは嬉しかったけど、すごく重いことだと感じましたね。

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