「普通の人」が金メダリストに。ゴールボールが変えた、浦田理恵の毎日 (2ページ目)

  • 星野恭子●取材・文 text by Hoshino Kyoko
  • 竹藤光市●写真 photo by Takefuji Koichi

 1997年、浦田は網膜に異常が起こる難病の網膜色素変性症を患い、現在は左目を失明、右目の視野もほとんどない。最初に目の異変に気づいたのは20歳の頃。教師を目指し、故郷を出て福岡で学んでいたときだった。

「あれ、なんか見えにくい」

 そんな現実を受け止めきれず、最初は見えているふりをした。そのうち、「カフェに行きたいけど、ひとりじゃ行けない」「洋服を買いたいけど、選べない」など、できないことが増えていった。そうして、「子どもの顔が見えない状態で、教師として指導なんてできない」と、長年の夢を諦めた。

 家族の後押しを受けて次の道を歩み始め、2004年からは鍼灸・マッサージ師を目指して専門学校に通い始める。ゴールボールと出会ったのは、その年、アテネパラリンピックで日本女子代表が銅メダルを獲得したと伝えるテレビ番組がきっかけだった。

「見えないのに、球技? 世界で戦う?」

 ゴールボールは全員がアイシェードを着けてプレーするので、条件は同じ。「目が見えないこと」を言い訳にはできない。

「見えないから仕方ないよね、と限界をつくるのではなく、今の自分自身と向き合い、どこまでやれるのか試してみたい」

 そんな前向きな思いが背中を押した。

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