パラアイスホッケー日本代表、苦難の7年を乗り越えて掴んだ平昌キップ (4ページ目)

  • 荒木美晴●取材・文・撮影 text & photo by Araki Miharu

「それでも、次の世界選手権でも1勝もできずに再びBプールに陥落。結果が出せず、本当に苦しかった。でも、絶対にあきらめなかったし、この4年間、ホッケーに対して絶対に手を抜かなかった」と熊谷。静かに燃やす闘志の裏にあるのは、日の丸をつける責任感だ。所属する長野チームの練習でも代表の強化合宿でも、朝の時間を使って誰よりも多くシュート練習に取り組んだ。キャリアの短い自分の成長が、日本代表の成長につながると信じていた。

「先輩に対しても、言いたいことを言わせてもらいました。『お前、上から目線だな』と返されたりもしたけれど、仲良しクラブでは、パラリンピックなんかとても行けない。戻ってきた選手にも負けなくなかったし、後輩たちにも、俺はここまで上げたぜ、という姿を見せてきたつもりです」

"エース"と呼ばれるようになった自覚が、熊谷をひと回りもふた回りも大きくさせた。

 スウェーデン戦のあと、吉川守(長野サンダーバーズ)が「選手、スタッフそれぞれ、家族や応援してくれている人たちの思いを受けてここに来ている」と話していたように、熊谷もまた周囲の人々のサポートに対して、感謝の気持ちを口にする。「自営業なんですが、仕事関連の人たちが、いつも応援してくれる。これまでいい報告ができていないのに、今回も『頑張ってきて!』と言って送り出してくれた」と熊谷。

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