メダル7個、金持義和の使命。「デフリンピックの知名度を上げたい」 (3ページ目)

  • 星野恭子●取材・文 text by Hoshino Kyoko
  • 村上庄吾●写真photo by Murakami Shogo

 金持は1994年佐賀県に生まれ、生後8カ月から水泳を始めた。1歳で発症した髄膜炎の影響で徐々に聴力が低下、6歳頃に左耳の聴力をほぼ失い、右耳は補聴器を使っている。それでも唇の形で理解する「口話」も身につけ、普通校の水泳部で泳力を磨き、高校総体や国体などでも活躍してきた。

「泳ぐときは補聴器を外すのでコーチの指示は聞こえません。練習では、一度プールから上がって指導を受けることもあります。タイムの読み上げは声でなく、指で示してもらっています。一般の大会ではスタートのピストル音は聞こえないので、スターターのほうに顔を向け、ピストルの先のわずかな光を目で確認しスタートを切っています」

 健聴者のなかで戦ってきた金持には、4年に1度のデフリンピックとは別に、持ち続けている夢がある。「日本水泳連盟が主催するジャパンオープンと日本選手権大会への出場」だ。50mの背泳ぎでは参加標準記録にあと0.1秒に迫る。

 そのために、泳ぎに必要な筋肉をつけ、カウンセリングなどで精神面での充実もはかり、オンとオフのある泳ぎを追求していく覚悟を持っている。

 そして、金持にはもうひとつ使命と感じていることがある。それはデフリンピックの知名度を上げることだ。2020年東京パラリンピックの開催が決まり、混同されることも少なくない。異なる2つの大会であることを理解してもらい、ともに応援してもらえたらと願う。

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