パラ陸上の鉄人から後輩にエール「向かい風はそのうち追い風になる」 (2ページ目)

  • 荒木美晴●取材・文 text Araki Miharu
  • photo by AFLO SPORT

 バスケと陸上の二足のわらじで競技を続けるなかでも、このときの感情が消えることはなかった。

 そして、90年のゴールドカップ(当時の車椅子バスケットボールの世界選手権)日本代表に選ばれたことで、バスケには気持ちの面で区切りがつき、陸上へと転向した。

 まだバスケも続けていた89年のフェスピック()神戸大会では100m、200m、400mの3種目で金メダルを獲得している。陸上に専念後の99年のニュージーランドの国際大会では100mで3位、200mで2位、400mで優勝という成績をおさめ、車いすレーサーとしても一躍トップアスリートの仲間入りを果たした。
※1975年から2006年までに9回開催された、アジア・オセアニア地域の障がい者スポーツ大会。現在はアジアパラ競技大会となっている。

 しかし、その先には茨の道が待っていた。「30年陸上をやってきたけど、あまり表彰台には立てなかった。それだけ厳しい世界だった」と永尾さん。出場するT54は車いすのなかで、もっとも障がいが軽く、世界的にも選手層が厚いクラス。大会のレベルが高くなると、体格に勝る海外勢に水をあけられるようになったのだ。

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