車いす陸上短距離の超人。パラ7回出場の永尾嘉章氏が、ついに引退宣言 (3ページ目)

  • 荒木美晴●取材・文・写真 text&photo by Araki Miharu

 次のターニングポイントは、北京大会。エントリーしたすべての種目で予選敗退となり、心に影を落とした。だが、現在の所属先である企業が「感動した」と支援に乗り出してくれたことが支えになり、現役続行を決めた。

 その次は、ロンドン大会に照準を合わせていた2011-12シーズンのこと。海外のレースでスピードが出すぎて激しいクラッシュを経験。失格となり、このレース結果が響いて、パラリンピックの代表選考から漏れた。周囲から「そろそろ限界なのでは?」と言われ始めたのは、この頃だ。だが、永尾さんの闘志は消えてはいなかった。

「調子が悪かったわけではないし、"限界"と言った人たちは50歳になろうとしている僕の年齢の数字だけ見ている、と感じていた。"選考に漏れた永尾"で終わりたくなかったのもあるけれど、競技を続けるのに十分な発奮材料になりましたよね」

 その運命を受け入れてからリオまでの4年間は、「無様な姿は見せられない」と、自分に高い目標を課し、厳しくプレッシャーをかけ続けた。とくに、西勇輝(野村不動産パートナーズ)や生馬知季(WORLD-AC)といった若手選手が力をつけてきた国内レースでは「100%の力を出して負けたら引退」と覚悟を決め、自身を奮い立たせてきた。

 決して諦めない姿は、まさに第一人者のプライドそのものだったと感じる。

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