車いす陸上短距離の超人。パラ7回出場の永尾嘉章氏が、ついに引退宣言 (2ページ目)

  • 荒木美晴●取材・文・写真 text&photo by Araki Miharu

 限界どころか、その存在感は増すばかりなのである。たしかにリオはメダルを逃した。だが、いまでもこの100mと400m、そして200mの日本記録は破られておらず、素人考えでは「まだ第一線でできるのに」と思ってしまうのだが、永尾さんは、こう言い切る。

「確かに体力的に不安があるわけではないし、その意味では東京も目指せるでしょう。でも、パラリンピックに出るだけじゃ、やはり意味がないんです」

 過去7回のパラリンピックでは、バルセロナ大会と北京大会を除く5大会で、9度ファイナルに進出している(ソウル大会100m/7位、アトランタ大会100m/5位、200m/4位、シドニー大会100m/7位、200m/8位、アテネ大会100m/7位、200m/6位、4×400mリレー/3位、リオ大会100m/8位)。

 4年区切りで競技に取り組むなかで、実際のところは「引退」を考えたタイミングが何度かあったという。だが、その都度人生を変える出会いがあり、トラックに戻ってきたのだと、永尾さんは振り返る。

 最初は41歳で迎えた2004年のアテネ大会のあと。日本選手団主将の大役を引き受け、リレーでは銅メダルを獲得したことで、「辞める状況がそろった」と考えていた。しかしその翌年、世界陸上ヘルシンキ大会に招待され、出場したエキシビションレースの200mで5位に。会場の雰囲気にも刺激を受け、「まるで血が逆流したように、すごい高揚感があった。やってやるぞ、と思った」という。

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