始めて8カ月で準優勝。女子車いすテニスに突如現れた大谷桃子とは? (3ページ目)

  • 荒木美晴●取材・文・写真 text&photo by Araki Miharu

 リスタートを切れないまま、今年5月のジャパンオープン(福岡県・飯塚)は観戦のため会場に足を運んだ。そこで、面識のあったリオパラリンピック日本代表の中澤吉裕監督に声をかけられた。

「"頑張ってね"って言われました。でも、その時......」大谷はこう続ける。「"頑張ろう"と言ってもらえるようになりたいと思ったんです」。

 さらに、目の前で繰り広げられる世界トップクラスのプレーにも大きな刺激を受けた。自分を奮い立たせた大谷は、本格的に車いすテニスを再開。現在は佐賀県で大学に通いながら、4年後の東京パラリンピックを見据えてトレーニングを積んでいる。

 テニス経験があることは大きなアドバンテージになるが、車いすテニスにおいて大きな要素を占める素早いチェアワークの習得は一朝一夕にはいかない。合宿などで強化を図っているが、「まだまだ」と大谷。車いすの動きと惰性を瞬時に計算し、自分のベストポジションに入るためのボールの使い方も、目下取り組み中だ。

 その課題が改めて浮き彫りになったのが、上地との決勝戦だった。第1セットは序盤から大谷が自信を持つサーブが冴え、いきなり3ゲームを連取。だが、そこから追い上げられ4-4とした後、2つのブレークを許して5-7で落とした。第2セットは、第1ゲームのサービスゲームこそキープするも、大谷のサーブの威力に慣れた上地に主導権を握られる。ショットのコースも読まれ、前後左右の動きに翻弄されると6ゲームを連続で失い、あっけなく敗れた。

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