53歳、短距離界のパイオニア。永尾嘉章が挑んだ7度目のパラリンピック (3ページ目)

  • 荒木美晴●取材・文 text by Araki Miharu
  • 吉村もと/MAスポーツ●写真 photo by Yoshimura Moto/MA SPORTS

 その原動力となったのは、やはり「悔しさだった」と永尾は振り返る。4年前のロンドンパラリンピックの日本代表選考からは漏れた。"限界なのではないか"との周囲の声も聞かれたが、「やり切った感覚がなかった。自分はまだ、限界に挑戦していない」と再起。フィジカルとフォームの見直し、肩関節の柔軟性と肩甲骨の可動域を向上させる加圧トレーニングなどに取り組み、次のステージをイメージした。

 リオを見据え、技術面でもっとも力を入れたのは、長年課題として取り組んできたスタートの反応、ダッシュの改善だ。これまでよりも若干上半身を持ち上げ、パワーを車椅子にダイレクトに伝える独自のスタート技術を模索。今年6月のジャパンパラ競技大会では、1カ月前の日本選手権で敗れた24歳の生馬知季(いこま ともき)にリベンジを果たすなど効果が表れた。

 そこからさらに改良を重ね、「8月のお盆辺りから少し体に馴染んできた」というスタートは、リオでついに花開く。予選では、漕ぎ出しの際の手の位置をわずかに高くし、ロケットスタートに成功した。その手の位置は「その時の微妙な感覚で」調整したものだといい、経験豊富な永尾ならではの判断だった。決勝は結果こそ求めていたものではなかったが、反応は誰より早く、「スタートダッシュの安定性は克服できた」と胸を張る。

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