出場選手が証言。52年前の東京パラリンピックは何が起きていたのか (4ページ目)

  • text by Sportiva

日本のユニホームを着て入場する53名の選手たち photo by Kyodo News日本のユニホームを着て入場する53名の選手たち photo by Kyodo News伊藤 海外の選手は道具も違いましたか?

須崎 違ったと思います。車椅子に敷いているのはスポンジでしたし。

伊藤 バスケットボール競技の車椅子も、今とは違うものだったんですね?

須崎 昔は病院にある、後ろに押すところが付いてる車椅子でした。

伊藤 海外の選手の車椅子の形は違ったんですか?

須崎 はい。これは東京パラの前の話なんですけど、イギリスに中村先生と一緒に行った人が、「向こうの車椅子は車輪がハの字になっていた。作り方が雑で、日本のようにピシっと(まっすぐに)なってないんだ」って言うんですよ(笑)。そんな車椅子なんて見たことなかったので、そう思ったんでしょうね。そう考えると、東京パラの前に海外ではもうスポーツ用の車椅子があったってことですよね。

伊藤 試合が終わってから東京観光はされたんですか?

須崎 観光は行かなかったんですけど、一緒に車いすバスケットに出場していた、堤憲蔵さんらと一緒に寄席に行きました。堤さんは社会復帰されていて、慣れているので連れていってくれたんです。そのときのタクシーの運転手さんが車椅子なのに連れてってくれる方でうれしかったのを覚えてます。寄席も一番前の席で見て、たしか落語家は月の家円鏡で、あの頃の新人だったんですよ。すべてが新鮮でした。

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