出場選手が証言。52年前の東京パラリンピックは何が起きていたのか (3ページ目)

  • text by Sportiva

伊藤 競技に出ること自体は楽しかったですか?

須崎 はい。出るって決まったら、それなりにやってみようって気持ちになりました。でも無様な負け方をしたし、海外の選手とはやっぱり体力が違いましたね。

伊藤 メダルの数も外国勢とは違いましたものね。

須崎 本当に日本は田舎の運動会みたいでした。当時、評論家の人がうまいことを言っていて、「なかよし運動会」って(笑)

伊藤 アメリカなど海外の選手を見てどう思いました?

須崎 力の差は見た目だけではっきりわかりました。あんなに強くなるもんかなって。訓練するとね。

伊藤 海外の選手は、ずっと練習を積んできて大会に来たんですね。

須崎 この東京パラというタイミングがあったから、日本も環境がよくなったんです。仕事が終わってから練習するようになって。仕事する場所と練習する場所があれば、日本選手でも強くなれるんですよ。

伊藤 そう思います。大会期間中にアメリカやカナダの選手と交流はあったんですか?

須崎 全然。勇気もないし、選手の集会所があったんですけど、そこに行く日本選手は誰もおらんかったですよ。自分もパラに行くまでは病院でずっと寝ている生活だったので、1日中車椅子に乗っていると褥瘡(じょくそう/床ずれ)が気になってしまって、それどころじゃなかったように思います。その頃の車椅子には今みたいなクッションがないですから、円座だったんですよ、ゴムの。

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