【マラソン】車いすレーサー、山本浩之。50歳で迎えるリオ代表に内定! (2ページ目)

  • 星野恭子●取材・文 text by Hoshino Kyoko
  • 越智貴雄●写真 photo by Ochi Takao

 レースは1時間27分以内という選考条件をにらみ、スタートからハイペースで進んだ。序盤は11人のトップ集団だったが、気温25度を超える暑さもあり、集団は徐々に小さくなり、中間点ではフグや山本ら5選手に絞られた。レースが大きく動いたのは37キロ地点辺り。スパートをかけたフグと、すぐに反応した山本の2人が抜け出し、最後は地力に勝るフグが先着し、山本が9秒差で続いた。

 山本は2008年北京、12年ロンドンパラリンピックの代表で、3度目となるリオは50歳で迎えることになる。パラスポーツでは事故や病気による中途障害で競技を始める人も多く、山本のように40代で活躍する選手も少なくない。山本自身は体力の衰えを感じることもあるというが、この日のレースでも、「これまで上り坂が課題だったが、今日は(集団内の)誰よりも速かった。トレーニングのおかげ」と、まだまだ伸びしろがあることを感じさせた。

 車いすマラソンは平均時速30キロ、下り坂では時速50~60キロにもなるスピードと迫力が魅力だが、「勝つ」にはパワーだけでなく、駆け引きなどのワザも必要になる。ベテランならではのレース経験が多分に力を発揮する部分だ。たとえば、日本の男子車いすマラソン界は山本と、副島正純(45)、洞ノ上浩太(41)の3選手が「三強」として長くけん引しており、今大会でも副島が3位、洞ノ上が5位に入っている。

 山本は20歳のときに交通事故で車いす生活になり、最初は車いすバスケットボールを行なっていたが、その後、陸上競技に転向。自身初のパラリンピックとなった北京大会ではマラソンで6位に入賞。ロンドン大会ではさらなる活躍が期待されたが、5000mは決勝に進出するも10位と惨敗。マラソンでは途中でクラッシュによるアクシデントで後退し、22位に終わった。

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