ウィルチェアーラグビー・三阪洋行「ロンドンパラがトラウマになった」 (5ページ目)

  • 文●スポルティーバ text by Sportiva
  • 写真●五十嵐和博 photo by Igarashi Kazuhiro

伊藤 この終わり方が自分らしいというのは?

三阪 紆余曲折がありながら、なかなかピークのまま終わるってないねんなと思って。アップダウンのある人生なら、極端な終わり方するのも自分らしいのかなって。

伊藤 そのあとはすぐにコーチに?

三阪 それが違うんですよ。ロンドンパラ後は代表を目指すことを優先せず、国内で楽しめる範囲でプレーして、若手と一緒にやるのも楽しいなと思っていたので育成に手を貸したり、新体制の代表合宿にちょこちょこ顔を出していました。その時にヘッドコーチからも声をかけていただいたこともあったんですが、やっぱりロンドンパラのトラウマがあって、なかなか踏ん切りがつきませんでした。

伊藤 それが変わるきっかけがあったんですか?

三阪 ひとつではないんですが、踏ん切りがつかなかった2年の間も、いろいろなことがあって結局アシスタントコーチを引き受けることにしました。

伊藤 それでは次回、悩みながらもなぜアシスタントコーチを引き受けたのか、そして今はどんな日々を送っているのか、聞かせていただけますか?

三阪 はい、わかりました。

(つづく)

【プロフィール】
三阪洋行(みさか ひろゆき)・写真右
1981年6月21日生まれ。大阪府出身。ウィルチェアーラグビー元日本代表。現在は千葉のBLASTというチームに所属しプレーする一方、代表ではアシスタントコーチを務めている。パラリンピックは、2004年アテネ、2008年北京、2012年のロンドンと3大会に出場。中学生で健常のラグビーを始めたが、高校3年生の時、練習中の事故から頸椎を損傷し、車いすの生活となった。その後、ウィルチェアーラグビーと出会い、ニュージーランド留学を経て、日本代表入りを果たしている。

伊藤数子(いとう かずこ)・写真左
新潟県出身。NPO法人STANDの代表理事。2020年に向けて始動した「東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」では顧問を務めている。2003年、電動車椅子サッカーのインターネット中継を企画、実施。それをきっかけにしてパラスポーツと深く関わるようになった。現在、パラスポーツの競技大会のインターネット中継はもちろん、パラスポーツの楽しみ方や、魅力を伝えるウェブサイト「挑戦者たち」でも編集長として自らの考えや、選手たちの思いを発信している。また、スポーツイベントや体験会を行なうなど、精力的に活動の場を広げ、2012年には「ようこそ、障害者スポーツへ」(廣済堂出版)」を出版した。

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