2015.02.18

サッカーから車椅子バスケへ。京谷和幸がつないだ「代表の誇り」

  • 文●スポルティーバ text by Sportiva
  • 写真●五十嵐和博 photo by Igarashi Kazuhiro

伊藤 日本選手団の主将を務めたときですね。

京谷 チーム全体が日本代表の意識というか、そういう気持ちを持てるようになってきて、今は、日本一の宮城MAXというチームを牽引する主力の藤本と藤井が、そういう思いを日本代表に引き継いでくれていると思います。

伊藤 京谷さんの中で、日の丸を背負うこと、日本代表への思いがすごく強いというのは、どこからくるのでしょうか? 

京谷 やっぱり、サッカーからつながっていることだと思います。サッカーってちゃんと、ピラミッド型になっているんですよね。代表がU-15ぐらいから始まって、U-17の大会、U-20の大会がそれぞれの年代にあって、そこを目指していきたいって思うじゃないですか。で、選考された選手が合宿に行くと、昔メキシコオリンピック(1968年)とかに出た人たちが来て、日本代表のあるべき姿なんかを話してくれて、代表とはというのをそこで学ぶんです。

伊藤 京谷さんはアンダーカテゴリーの代表に選ばれていましたよね?

京谷 17歳の時に初めて日の丸をつけて、ユース代表の試合に出ました。そのあとは、20歳でワールドユース(現FIFA U-20ワールドカップ)が終わるまでユース代表でした。実は、17歳で一番最初に入ってから最後の20歳まで残ったのは僕1人だけなんです。それだけが唯一の自慢です。途中から入ってきたり、抜けていく選手が何人もいる中で、僕はユース代表の重鎮になってしまって(笑)。その時のメンバーは藤田俊哉(元ジュビロ磐田など)とか、名良橋晃(元鹿島アントラーズなど)、年齢は1歳下なんですけど、今ジュビロの監督の名波浩などがいました。