元日本代表・京谷和幸が車椅子バスケとサッカーの二刀流宣言

  • 文●スポルティーバ text by Sportiva
  • 写真●五十嵐和博 photo by Igarashi Kazuhiro

伊藤 今後、車椅子バスケとはどんな関わり方になりそうですか?

京谷 まだ分からないですが、一応今は関東車椅子バスケットボール連盟の強化指導部で、若手の育成強化というのと、次世代の日本代表を育成するためのジャネックスという合宿があるんですが、そこのテクニカルスタッフをしています。あと、今年は10月に千葉市でリオパラリンピックのアジア・オセアニア地区予選があるので、その予選の委員になっています。

伊藤 若手育成に力を入れていくというポジションに着いているんですね。

京谷 そうですね。やっぱり最近の日本代表の成績とか見ていると、ライバルの韓国に3連敗とかしている状況で、及川(晋平)ヘッドコーチも苦しい状況だし、選手たちが一番苦しいだろうなと。その状況を何か変えるお手伝いというか、そういう思いが少なからずあります。実際そこに直接関わらないにしても、その下の世代が育って、最終的にトップのほうで歯車がかみ合えば、いい方向に向かっていくのかなと思っています。だから、育成年代のところや、次世代の日本代表の選手たちに関わっていきたいなと。さらに掘り下げていくと、関東のチーム、もっと言うと元々所属していた千葉ホークスというところで、そういう選手を育てていかなきゃいけないんじゃないかなという気持ちになりました。

伊藤 そこで育てた人を日本代表に送り出していくというか、橋渡しをしていくような役目ですか。

京谷 そういう形で今はやっていこうかなと思っています。
(つづく)

【プロフィール】
京谷和幸(きょうや かずゆき)・写真右
1971年8月13日生まれ。北海道出身。高校時代にはサッカーのユース代表に選ばれ、高校卒業後の91年にジェフユナイテッド市原・千葉とプロ契約を交わした。しかし、Jリーグ開幕年の93年に交通事故で脊髄を損傷し、車椅子生活へ。その翌年に車椅子バスケと出会い、所属した千葉ホークスでは日本選手権で3連覇を2度達成するなどチームの中心として活躍した。日本代表にも選出されて、2000年のシドニーパラから4大会に出場し、北京パラリンピックでは主将を務めた。2012年のロンドンパラ後、現役引退を発表。現在は、大学のサッカー部で外部コーチとして指導している。

伊藤数子(いとう かずこ)・写真左
新潟県出身。NPO法人STANDの代表理事。2020年に向けて始動した「東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」では顧問を務めている。2003年、電動車椅子サッカーのインターネット中継を企画、実施。それをきっかけにして障がい者スポーツと深く関わるようになった。現在、障がい者 スポーツ競技大会のインターネット中継はもちろん、障がい者スポーツの楽しみ方や、魅力を伝えるウェブサイト「挑戦者たち」でも編集長として自らの考えや、選手たちの思いを発信している。また、スポーツイベントや体験会を行なうなど、精力的に活動の場を広げ、2012年には「ようこそ、障害者スポーツへ」(廣済堂出版)」を出版した。

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