世界1位の上地結衣が語る「車いすテニスの楽しい観戦術」 (2ページ目)

  • 文●スポルティーバ text by Sportiva
  • 写真●五十嵐和博 photo by Igarashi Kazuhiro

伊藤 上地さん自身、最初は車椅子バスケから始められたとお聞きしましたが、その車椅子バスケを始める時はどういうきっかけだったんですか?

上地 私の場合は本当に特殊だと思うんですけど、すごく環境に恵まれていたなと思います。車椅子バスケを知ったのは、インターネットで母が広島のバスケットのボランティアをされている方と知り合ったのがきっかけです。
「(地元の)神戸にもこういうチームがあるよ」と、紹介していただいて。そのチームが活動している体育館は、私が小さい頃にリハビリに行っていた病院の隣の体育館だったんです。でも、体育館には怖い人がいるから絶対に行けないと思っていたので、当時はリハビリにしか行ってなかったんです(笑)。

伊藤 その怖いと思っていた人たちが車椅子バスケの選手なんだって分かって、怖くなかったですか?

上地 そうですね。10歳の女の子が、若くても20代後半の男性選手ばかりで、強面の選手の中に入るのは、なかなか勇気がいりました。でも、初めて行った時から良くしていただいて、「どんどん入ったらいいよ」って。チームの大事な練習時間なのに自分にボールを回してくれたり、「じゃあシュートしてみようか」と声をかけてくださって、その時に「面白くないな」って感じていたら、バスケを1年間続けることもなかったと思いますし、そこからテニスにつながることもなかったと思います。

伊藤 バスケからテニスへの転向は、何がきっかけだったんですか?

上地 4歳離れた姉がいるんですが、姉が部活動で軟式テニス部に入ったのがひとつの理由です。姉の真似をずっとしてきていたので。それと、テニスとバスケって両立されている人が多いんです。イメージなんですけど、バスケは激しいスポーツなので、やっぱりテニスより競技寿命が短いようで、テニスは遊びでもできるし、みたいな感じで。バスケの現役を退いたらテニスに行こうかなっていう方が結構多かったんですね。私の周りは特に。なので、そういったつながりでテニスを始めました。

伊藤 上地さんが車いすバスケを始められたきっかけは、偶然知り合いがいらしたことが大きかったと思いますが、偶然を待つのは、本当に窓口が広がるというのとは違いますよね。

上地 そうですね。人と人とのつながりで練習場所を見つけることも、素敵なことだと思うんですけど、私みたいに競技じゃなくても、気軽に「ちょっとやってみたい」とか、そういう感覚でできるっていうことがより大事かなと思います。

伊藤 上地さんが先ほど使った「窓口」という言葉はとても分かりやすくていいですね。窓口が広がって、プレイヤーが増えるとファンも増えるのかなと。

上地 だと思いますね。障がいのある方だけじゃなくて、健常者の方でも車いすに乗ってできる環境はあるんですけど、そういうのを知ってる方がまだ少ないですよね。もっと知って、経験してもらえると、自分の近くにいる障がいを持った子に、「教えてあげよう」ってことにつながっていくと思うし、障がいがあるから障がい者の協会に問い合わせるってことでなくていいのかなと思います。

伊藤 自分がやったことのあるスポーツって、その一流を見たいって思いますし、それって、2020年の観客増員にもつながりますよね。ロンドンパラはチケットが完売して、開会式、閉会式はもちろん満席でしたが、試合会場は満席じゃなかったんです。車いすテニス男子の決勝は、半分も埋まっていませんでした。

上地 そうですね。それでも車いすテニスの今までの大会に比べれば、考えられないくらい入っていたんですけど、いかに普段が少ないかですよね。

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