車いすテニス・上地結衣の実感「理想はフランス人ボランティア」 (3ページ目)

  • 文●スポルティーバ text by Sportiva
  • 写真●五十嵐和博 photo by Igarashi Kazuhiro

伊藤 ボランティアの方と仲良くなっちゃうんですね。

上地 そうですね。それにボランティアの仕事だけじゃなくて、「洗濯に行かなきゃいけないけど、10分だけあんたの試合を見にきた」とか言って、コートサイドで応援してくれたり。ボランティアの人は大会スタッフなので、一応中立な立場でいないといけないんですけど、「やったね」って終わった後にこっそり言ってくれたりとかして、すごくありがたいなって感じました。

伊藤 いいですね。

上地 はい。言葉が通じなくてもつながれるというか。

伊藤 私のイメージとしては、ボランティアの人というのは、その時その時だけだと思っていました。そうじゃないんですね。

上地 1回来てボランティアをやってくれる人は、その後も続きますし、その人とのつながりでまた新しい人が来てくれたりとかもありました。

伊藤 韓国はフランスとはまた違う良さがあるんですか?

上地 韓国は、お父さんお母さんのように接してくれる選手がたくさんいるんです。「韓国に来たら絶対連絡してよ」とか、「ご飯食べに行こう」と言ってくれます。

伊藤 じゃあ、海外に行ってもさびしいとは思わないですね。

上地 はい。なので、初めて海外の遠征に行ったのが15歳だったんですけど、その頃から母は一度もついてきたことがありません。母が来ると旅費が2人分になるので、「母に付いてきてもらって生活面などのサポートをしてもらうか」「ひとりで行って、母が行かない費用分、大会数を増やすか」の、どっちがいいかっていう話を父も含めてした時に、私は迷わずひとりで行くと言いました。その頃から一度もついてきたことはないですね。

伊藤 怖いとか不安とかなかったですか?

上地 いい意味で何も考えてなかったのかなと思います。海外に行ける、海外の選手と部屋をシェアしたり、移動を車で一緒にできるというのが楽しみでしょうがなかったんですよね。

(つづく)

【プロフィール】
上地結衣(かみじ ゆい)・写真右
1994年4月24日生まれ。兵庫県出身。エイベックス・グループ・ホールディングス所属
先天性の潜在性二分脊椎症で、成長するにつれて徐々に歩行が困難となり、車椅子を使用するようになった。11歳のときに車いすテニスを始めると、あっという間に才能を開花させ、14歳という若さで日本ランキング1位に。2012年ロンドンパラリンピックではシングル、ダブルスでベスト8。2014年シーズンは、4大大会のシングルスで2勝、ダブルスでは年間グランドスラムを達成し、現在世界ランキング1位となっている。(1月17日現在)

伊藤数子(いとう かずこ)・写真左
新潟県出身。NPO法人STANDの代表理事。2020年に向けて始動した「東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」では顧問を務めている。2003年、電動車椅子サッカーのインターネット中継を企画、実施。それをきっかけにして障がい者スポーツと深く関わるようになった。現在、障がい者 スポーツ競技大会のインターネット中継はもちろん、障がい者スポーツの楽しみ方や、魅力を伝えるウェブサイト「挑戦者たち」でも編集長として自らの考えや、選手たちの思いを発信している。また、スポーツイベントや体験会を行なうなど、精力的に活動の場を広げ、2012年には「ようこそ、障害者スポーツへ」(廣済堂出版)」を出版した。

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