ロンドンパラ金メダリスト秋山里奈が語る「OLとしての今」 (3ページ目)

  • 文●スポルティーバ text by Sportiva
  • 写真●五十嵐和博 photo by Igarashi Kazuhiro

伊藤 今の新しい生活も大いなるチャレンジだと思うんですけれども、Twitterで「死ぬまでチャレンジャーでいたい」って書いてらっしゃって。死ぬまでチャレンジしていたいというのは、いつ頃から思うようになったんですか?

秋山 チャレンジしないと、今のままでいいって思ったら、そこから向上することはないじゃないですか。なので、どんなことでもいいので、ずっと死ぬまで何か挑戦し続けたいなっていうのは、高校生とか大学生ぐらいの時から何となく意識がありましたね。

伊藤 どなたの影響がとかっていうことでもなく?

秋山 そうです。自分の性格ですね。実は、最近ちょっと仕事にも慣れてきて、特に自分の中で超頑張ってることがないんです。仕事はもちろん頑張ってますけど、でも、別にそれは当たり前のことなので。去年は本当に慣れるのに必死で、毎日仕事のことだけ頑張ってましたけど、本当に最近、ふと元気がなくなった時期があったんです。「なんかつまんないな」とか、「こんなんでいいのかな、私」とかいろいろ考えた時期があって。なんでこんな気分になるんだろうと思っていたんですけど、「今、何かに全力で挑戦してないわ」って気付いたんです。今の私の目標は、全力で挑戦できることを探すのが目標です。でもなかなか見つからないんですよね。

伊藤 秋山さんの場合、今まで非常に密度の濃い人生を送ってきて、そこはかなり自分をいじめたり鍛えたりして、もちろん得られるものも大きいという中で来ましたから、多分それと同じぐらいの密度を今もどこかで求めているんでしょうね。

秋山 そうなんですよ。あまりに水泳に費やし過ぎたので、それと同じ刺激だったりとか喜びだったりとかそういうものを求めてしまうと......なかなかないですね。

伊藤 無理ですよね。さっきの穏やかな生活がいいとおっしゃってたところで、実はちょっと引っかかってたので、本音が聞けてよかったです。

(つづく)

【プロフィール】
秋山里奈(あきやま りな)・写真右
1987年11月26日生まれ。神奈川県出身。
生まれつき全盲で、3歳から水泳を始めた。2004年アテネパラリンピックに初出場し、100m背泳ぎで銀メダルを獲得。2008年北京パラリンピックでは背泳ぎS11クラス(視力0)が廃止され、自由形で出場したが、50m8位、100m予選落ちという結果に終わった。2012年ロンドンパラリンピックでは再び背泳ぎS11クラスが復活し、念願の金メダルを8年越しで獲得している。

【プロフィール】
伊藤数子(いとう かずこ)・写真左
新潟県出身。NPO法人STANDの代表理事。2020年に向けて始動した「東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」では顧問を務めている。2003年、電動車椅子サッカーのインターネット中継を企画、実施。それをきっかけにして障がい者スポーツと深く関わるようになった。現在、障がい者 スポーツ競技大会のインターネット中継はもちろん、障がい者スポーツの楽しみ方や、魅力を伝えるウェブサイト「挑戦者たち」でも編集長として自らの考えや、選手たちの思いを発信している。また、スポーツイベントや体験会を行なうなど、精力的に活動の場を広げ、2012年には「ようこそ、障害者スポーツへ」(廣済堂出版)」を出版した。

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