アームレスリング世界一の男女が明かす日々のトレーニング。「全然違う」方法で頂点を極めた (2ページ目)

  • 篠崎貴浩●取材・文 text by Shinozaki Takahiro
  • 田中亘●撮影photo by Tanaka Wataru

――当時は、芸能界で活躍することを目指していたんですよね?

山田 そうですね。小学6年生からアイドルをやっていて、堀越高校に行ってからも芸能活動は続けて、舞台やバラエティ番組に出たり。ゆくゆくは「洋子おばちゃんのような女優になれたらいいな」と思ってやらせてもらっていたんですけど......。先ほどの肩書の件もそうですが、楽屋でイジメを受けたりすることも多くて、それに耐えられなくなったんです。でも、洋子おばちゃんからするとこれほど迷惑な話はないでしょうし、本当に申し訳ないことをしました。

――そこから、どのようにしてアームレスリングの道に?

山田 そこから3年間くらい遊ぶ日々を過ごすなかで、飲み屋でタンクトップを着たムッキムキの男性に会ったんです。「何をやってるんですか?」と聞いたら、アームレスリングの世界チャンピオンだったんですよ。

 その男性から「君もやる?」って聞かれたのでなんとなく始めてみたんです。それが1999年、23歳の時ですかね。そうしたら2カ月後の都大会で2位、その2カ月後の全日本で2位、さらに2カ月後に世界大会で2位になって。半年で世界2位まで行けて、「意外と世界は小さい」と感じたのと、「自分は人間じゃないんじゃないか」とも思いました(笑)。

――小寺さんのアームレスリングの最初の大会は?

小寺 本格的に始める少し前ですから、20歳の時ですかね。地元の和歌山県にはアームレスリングの大会がなかったので、大阪の大会に出場したら優勝できて。4、5回勝てば優勝できる小さい大会でしたけど(笑)。

――その優勝で、「アームレスリングでやっていける」となったんですか?

小寺 その時はまだやる気がなかったんですが、大会後に練習会があって、そこで自分より体の線が細い人に簡単に負けたんです。1ミリも動かなくて一瞬でバーンとやられてしまい、靭帯も伸ばしてしまった。「こんなに強い人がいるんや」と思いましたし、負けた悔しさもあって、靭帯のケガが治ったあとに本格的にやり始めました。

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