祝・銀メダル。ロコ・ソラーレの吉田夕梨花が語った自らのカーリング人生「自分が楽しめるかどうか」 (2ページ目)

  • 竹田聡一郎●取材・構成 text by Takeda Soichiro
  • 藤巻 剛●撮影 photo by Fujimaki Goh

――ロコ・ソラーレは昨年で結成10年を迎えました。吉田夕梨花選手は17歳からオリジナルメンバーとしてチームを支えてきました。以前に「楽しい時間だけでなく、苦しい時間もあった」と発言していますが、どういった点で苦しさを感じていたのでしょうか。

「今でこそ、チームをサポートしてくれるスポンサーさんや、支えてくれる方々の存在に感謝できていますが、当時はそういった状況を理解するまでに、正直時間がかかりました。カーリングにプロはないけれど、(所属する会社から)お給料をもらってカーリングを続けることは、ある意味ではプロのような環境です。とても誇らしいですし、幸せなことなのですが、そこにはどうしても責任が伴う。純粋に『楽しいから続けてきた』というカーリングが、真剣に打ち込んで結果を出さなければいけないものになってしまって、当初は戸惑いのようなものを感じていました」

――そうした状況のなか、2014年ソチ五輪に姉の吉田知那美選手(当時、北海道銀行フォルティウス所属)が代表メンバーとして出場。複雑な思いもあったのではないでしょうか。

「あの頃は(お互いに)ライバルチームに所属していて、話はするけれど、なんとなくカーリングの話題にはならなかったと思います。家族は応援しづらかったでしょうね。にもかかわらず、普段どおりでいてくれた家族には、申し訳ないというより、感謝しています」

――お母さまは、ソチまで知那美選手の応援に行かれたと伺いました。夕梨花選手はテレビでご覧になっていたのでしょうか。

「いえ、まったく覚えていませんから、試合は見ていないと思います。ただ、他のチームにいながらも、姉を見ていたら、私とは違う悩みや戸惑いがあって、彼女なりに揺れていたりしたことは感じ取れた。そんな姿はなんとなく覚えています」

――その姉である知那美選手がソチ五輪明けのシーズンに、さらに2015年には藤澤五月選手がロコ・ソラーレに加入。そして、2016年の日本選手権で初優勝を飾って、直後の世界選手権では銀メダルを獲得しました。

「誰がいいとか悪いとかという話ではなく、選手が入れ替わるっていうのは、エネルギーの方向が変化するんだな、ということは実感しましたね」

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